19世紀後半は画家が感じた印象をそのまま書く、といった“そのものズバリ!”の印象主義〜象徴主義へと突入していきます。
この記事は後編です。前編はこちら↓
印象主義
新古典主義に凝り固まった芸術表現に対して徐々に反発傾向が芽生えます。
それは、「写真」が登場したことで、自然をリアルに描く西洋絵画の存在価値が揺るがされます。
下記3人は、不満を抱き、よく集まりました。
マネ『草上の昼食』
酷評を浴びたマネの『草上の昼食』は、パリの裸の女性、着衣の男性が談笑しているもので風紀に反すると世から非難、スキャンダルになります。
一方で、若手画家たちからは尊敬されていました。『フォリー・ベルジェールのバー』は、臨場感を大切にしてリアルタイムの風俗を斬新に描いています。
モネ『日傘をさす女』
移ろいゆく光の美や風景を追い続け、また、溶け込む顔のない人物。
モネの『日傘をさす女』は、亡き妻を偲ぶために以前と同テーマで描いていますが、再婚したこともあり気が引けて顔を描かなかったのでは?といわれています。
最後の連作『睡蓮』のためには、自宅の庭に池まで造ったほど。
ルノアール『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』
ルノアールは生きる希望を豊満な女性に求め、風景よりも女性をとことん愛したことで知られる異端児です。
この作品や、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』はとても有名で、誰しもが目にしたことがあるでしょう。
『大水浴』『真珠色の時代』なども彼の作品です。
彼には、「絵は壁に飾るもの。
愛らしく美しく喜びに満ちていなければならない」というポリシーが。
後期印象主義
やがて印象派の画家たちは、それぞれの道へと進んでいきます。
ゴッホ『ひまわり』
ゴッホの数多くの『ひまわり』は激情のたまもの。
陽光に憧れて黄色い家に住み同じ理想を持つ仲間をそこで待つも、来たのはゴーギャンだけ。
ストーカーをしたり、熱心さのあまり伝道師もクビ、美術学校も退学、ゴーギャンに自画像の耳の形がおかしいと指摘された時には自分の耳を切り落とします。そして精神科病院へ。そのため『自画像』は、耳に包帯をしていますね。
ゴーギャン『アレアレア』
35歳になってから専業画家になったけれど、あきれるほどのダメ男とも。
国も妻子も捨てて、本物の南国へ行くことで他の画家たちと差をつけようとするも、作品はほぼ売れず。『タヒチの女』も有名ですね。
南国の楽園の少女たちは思想より、お金や文明を求めていたことで失望します。
セザンヌ『サント・ヴィクトワール山』
セザンヌは、「自然の模倣」から西洋絵画を解き放ち、永遠の本質を山を描くことで追及します。
この山は数度にわたり描かれ、自然の奥にある根底を拘り続けて、「近代絵画の父」と呼ばれることに。
『リンゴとオレンジ』『カード遊びをする人々』も有名です。
ロートレック『ディヴァン・ジャポネ』
ロートレックの作品は、19世紀末における日本ブームを反映しています。
まるでパリの浮世絵師が描いたかのような歓楽街の光と影を見事に表現。
浮世絵に影響を受けた画家は多くいますが、彼ほどその真図意を理解した画家はいないとされていますね。
『アリスティド・ブリュアン』や『ラ・グーリュ』のポスターも見たことのある人は多いことでしょう。
象徴主義
自然の印象を描いた印象主義に対して、内側にある幻想を描き出す象徴主義の時代へ。
象徴主義の時代は、まるで世紀末かと思われるものや、ゴシック的・退廃的ともとれる神秘画像の世界が広がります。
モロー『運命の女』
聖書や神話から古典的題材を選択し、独自の解釈で神秘的に表現しています。
『運命の女』は、男を破滅へ導く女、サロメを表現。
血を流して宙に浮く首は、イエスの洗礼を受けた洗礼者聖ヨハネ。
その左のダンサーのような女性はヘロデ王の後妻ヘロディアの娘、サロメです。
何と、見事な舞いを王に披露した褒美にヨハネの首を得るというシーン!
『オイディプス王とスフィンクス』『ライオスを殺すオイディプス』なども。
ムンク『叫び』
「ムンクの叫び」は、おどろおどろしい赤と不安な曲線を用い、世界中に「死への怖れ」を表現しています。
人間や自らの持つ孤独、不安、恐怖を見事に表現しましたが、彼は死が怖く、同時に女性恐怖症でもあったようです。
5歳で母親、思春期には姉を結核で亡くしたことが影響、何度も心身を患いながら生へ執着が見て取れますね。
他に『病室での死』『不安』『マドンナ』など。
アール・ヌーヴォー(ユーゲントシュテイル)
様々な要素を吸収し曲線的な装飾美術は、フランス語で「新しい芸術、アール・ヌーヴォー」、ドイツ語で「若者の様式、ユーゲントシュテイル」と呼ばれます。
つまり美術、工芸、デザインも建築も日本美術の平面性も、ゴシックの曲線性も全て融合させたのです!
ミュシャ『黄道十二宮』
ミュシャは、「アール・ヌーヴォー」の代表。
この作品は、太陽が描く軌跡である「黄道」と、その黄道を十二等分した「十二宮」のそれぞれに星座を当てはめたもの。
つまりカレンダー制作の依頼で作成した画像なのですが、横顔の女性と髪や装飾品の美しさはデザイン的に見事な調和がとれていますよね。
彼は、ポスター画家として活躍し、『ゾディアック』『ジスモンダ』他多くの作品が「知れ渡っています。
クリムト『接吻』
クリムトは、「ユーゲントシュテイル」の代表で、「ウィーン分離派」を立ち上げました。
この『接吻』は、世紀末の退廃を新世紀の様式で描いた「金屏風」であり、伝統工芸から生まれた先端技術的作品でもあります。
日本の工芸美術から大きく影響を受けたようですね。
これほどまでに豪華絢爛に「愛と死」のテーマを描いた画家は珍しい!
また、彼が任された天井画制作は、「ウィーン大学大講堂天井画事件」と呼ばれる大論争へと発展し、波乱万丈な時代を生きることになります。
『ベートーヴェン・フリーズ』『ユディト』などなど、興味をそそる数多くの作品を残していますね。
まとめ
19世紀後半の印象主義〜象徴主義の時代は、画家たちが自らの内面性に向き合い模索を続ける様子や、その表現方法、絵画への真摯な取り組みが切実に伝わってきます。
著名な画家たちは、巨匠となるに相応しい存在たちであることに納得してしまいますね。