ゴヤの「黒い絵」は14枚すべてが暗い絵です。
しかし、それぞれの絵に登場するものたちには、見方を変えれば表にみせている暗い顔ではない「芯の強い裏の顔」があります。
ゴヤの意志の強さは、難解な作品が多いにもかかわらず今でもファンが多い要因なのかもしれません。
この記事では、ゴヤの深すぎる絵の共通点と、ゴヤ自身について解説いたします。
暗いけど前向き?「食事をする二老人」
ゴヤは、スペインの画家で宮廷画家として活躍しました。
高い地位までのぼりつめたゴヤですが、病気で聴力を失います。
ゴヤは「聾者の家」と呼ばれる家にこもり絵を描くのですが、そのときに書いた14枚の作品がすべて暗いのです。
14枚の作品は、プラド美術館にまとめて「黒い絵」として飾られています。
ゴヤが生きていたら、思わず「どうしてこの絵を描いたの? 」と聞きたくなるような暗い絵です。
今回は、暗いけれど「深い意味がある」とも解釈できる深すぎる絵についてお話ししましょう。
「食事をする二老人」は、スープを飲んでいる二人の老人を描いた作品です。
しかし、よく見てみると、右側の老人は骸骨のようにもみえます。
テーブルの上の本に頭をのせ、手は左側を指さしています。
左側の老人は目を見開いて、やはり左側を指さしています。
左側になにがあるのか、なぜ本を開いているのか、なぜ一人は骸骨のようになっているのか、本当のことはゴヤに聞いてみなければわかりません。
ただ、この絵を描いたとき、ゴヤは病気で苦しみ、将来に希望を持つことが難しい状況でした。
そんな中で、骸骨のようになっても本を開き知識を得ようとしている人、歯がなくなってもスープを飲むことで栄養をつけようとしている人を描いたということは、暗い中でも前に進もうとしているゴヤ自身の気持ちをあらわしていると解釈することもできます。
二人の老人が指さしている先になにがあるのか、もしかしたらゴヤの心にわずかにあった「希望」なのかもしれません。
心から笑っている? 「カルロス4世の家族」
ゴヤは宮廷画家だったので、宮廷の王家の肖像画を描いています。
「カルロス4世の家族」は、一見優雅な一族の肖像画ですが、ひとりひとりの表情に注目してみると、誰一人心から微笑んでいる人がいません。
中心の王は、胸に勲章をつけていますが、その勲章は嫌みのようにギラギラと描かれ、ルノワールはこの絵をみて「王がバーテンダーみたいだ」といいました。
王の娘は、そっぽを向いている始末です。なにより、王女の後ろに大きな絵が飾ってあるのですが、その絵の内容があまりにも意味深です。
王女の後ろに飾ってある絵は「ロトとロトの娘」という作品です。
絵には、ふたりのロトの娘が描かれています。
ロト娘たちには、込み入った背景があり、ある日子どもを授かるために実の父親と関係をもちます。
この絵は一族にとってけして縁起のいい絵ではありません。
むしろ一族の滅亡を予感させるような絵です。
この絵には、ゴヤ自身も画家として描かれています。
暗闇の中で絵を描きながらゴヤはなにを考えていたのでしょうか。
ユーディットとホロフェルネス
ユーディットとは、旧約聖書にでてくる未亡人です。
絵に描かれているユーディットは、手に刃物をもって振りかざしています。
この絵は、ユーディットが町民の水を守るために敵を襲っているところです。
この絵も「黒い絵」の一つでプラド美術館に展示されています。
ゴヤが「なぜ、ユーディットを描いたのか」は、いくつかの説があります。
首を落としている絵は、男性として不能になった自分を自虐的に描いているという説もありますが、自虐的な絵ならば正義のために戦ったとされているユーディットは描かないのではないでしょうか。
ゴヤが病気で心が暗くなっている時代に「正義のために戦った女性」を描いたということには深い意味があるような気がします。
ゴヤは「例え悪いことをしてでも自分の正義を貫いたユーディットに自分を重ねていた」のではないでしょうか。
ゴヤは「今はどん底にいるけれど、自分の正義や未来のためならどんなことでもする覚悟」を描いたのかもしれません。
おわりに
紹介した2枚の作品以外にも「黒い絵」の中には有名な「我が子を喰うサトゥルヌス」があります。
この作品は、自分の子どもに将来自分が食べられることを恐れたサトゥルヌスが我が子を食べている絵です。
とても恐ろしく不気味な絵ですが、見方を変えれば「自分が生き残るために我が子を喰っている」といえます。
「食事をする二老人」も「ユーディットとホロフェルネス」も生きるために行動しているという共通点があります。
ゴヤは、どん底の時代にドロドロとした心の中で必死にもがき「生きてやる」という思いを絵にしていたのかもしれません。
ただ「カルロス4世の家族」は違います。
ゴヤは、宮廷画家を長年続け行く中で人間の嫌な部分もたくさん見てきたのでしょう。
そして、ゴヤはそれらを「生きるために悪いことをする」以上に嫌っていたのかもしれません。