フランシスコ・ゴヤは、描かれる人の思いを忖度して絵にする画家ではありませんでした。
外見どころか内面も良し悪し問わずに描く画家でした。
ゴヤは「私の仕事の目的は出来事をありのままに伝えること」と言っています。
この記事では、フランシスコ・ゴヤの生涯とジャーナリストのような思いを絵にした作品をご紹介します。
フランシスコ・ゴヤの生涯
フランシスコ・ゴヤは、1746年にスペインで生まれました。
貧しい村に生まれましたが、14歳で画家に弟子入りをします。
画家が絵を描く準備や手伝いをするかわりに絵を模写させてもらいました。
18歳のときには宮廷画家のもとで学びます。
しかしゴヤ自身は美術学校で教育を受けたいと考えるのです。
お金がないゴヤは、奨学金に挑戦しますが願いは叶わず、コンクールなどに応募しながらチャンスを待ちます。
そして25歳で教会のフレスコ画を描いて成功し、プロの画家として認められるのです。
ゴヤは師匠の妹と結婚します。
そしてゴヤの作品を認めた画家から王立アカデミーの会員になることをすすめられます。
ゴヤは、王室の画家になることを希望しますが、なかなか認められず40歳でやっと宮廷の中に入ります。
するとゴヤの人気は高まるのです。
ところが46歳ごろ、ゴヤは病気になります。
病気によって聴力を失うのです。一時期は、暗い作品を描くようになりますが、病気が治ると仕事に復帰します。
66歳で妻がこの世を去ります。
そして73歳で再び病に倒れ「聾者の家」に移ります。
前の所有者が聾者だったため「聾者の家」と呼ばれていました。
宮廷画家を引退し、ゴヤは聾者の家で誰に見せるでもない作品を描きます。
それが有名な「黒い絵」です。
晩年はフランスに移住しますが、この世を去る2年前にマドリードに戻ります。
フランシスコ・ゴヤは1828年にこの世を去りフランスに埋葬されますが、1901年にスペイン政府の要請により墓は掘り起こされ、マドリードに移動されるのです。
ジャーナリストのように思いを絵にした作品たち
フランシスコ・ゴヤはスペインの革新派でした。
戦時中は悲惨さをそのまま描くだけではなく、タイトルにはジャーナリストのように自分の思いを言葉にしています。
スペインの一般人とフランスの兵士との争いを目の当たりにしたゴヤは、そのときにみた事実を作品にしています。
タイトルは「わたしは見た」です。
おびえて泣いている子どもを連れて逃げる女性を描いています。
まさに手段は芸術ですが、やっていることはジャーナリストそのものです。
ゴヤは「マドリード1808年5月3日」という作品も残しています。
この作品は兵士が市民に銃を向けているところが描かれています。
ゴヤは、武器も持っていない市民が撃たれるところを描き悲惨さを伝えています。
ゴヤの作品の特徴は、自分の立場を中立にしていることです。
戦争を描くときでもどちらかに有利に働く絵を描くのではなく、事実を伝える絵を描いています。
ゴヤは戦時中に「戦争の惨禍」という銅版画を制作しています。
しかし「事実」を伝える作品は、どちらの国からも嫌がられる可能性がありました。
そのためフランシスコ・ゴヤはこれらの作品を隠しています。
ちょっとこわい表現主義の始まり、ゴヤの「黒い絵」
「黒い絵」は、フランシスコ・ゴヤが「聾者の家」で描いた14枚の作品です。
キャンバスに描かれたのではなく壁に描かれています。
壁に描いた理由は、誰かに売ったりあげたりするために描いたのではなく、自分のために描いたためでしょう。
現在は、プラド美術館に所蔵されています。
「黒い絵」という名前は、絵の色が黒いからではなく、これらの作品をキャンバスにうつしている最中にゴヤがこの世を去ったため名づけられたといわれています。
「黒い絵」の特徴は、描き方です。
筆を使って丁寧に絵の具を塗り重ねられたのではなく、パレットナイフで多めの絵の具を塗りつけるように描かれています。
「黒い絵」の中に1枚だけ実在した人物が描かれています。
「聾者の家」で一緒に暮らした家政婦のレオカディアです。
レオカディアが墓場に立っています。
ゴヤとレオカディアは恋人だったともいわれていますが、ゴヤはレオカディアに看取られる覚悟までしていたのでしょうか。
「黒い絵」は、ムンクの「叫び」のように精神的な体験を絵にする表現「表現主義」の始まりです。
フランシスコ・ゴヤは、世間との接触を絶ち「聾者の家」の中で病気や老いや恐怖に翻弄されている精神的な体験を作品にぶつけていたのでしょう。
おわりに
フランシスコ・ゴヤは、その後「聾者の家」を離れてフランスで暮らします。
フランスで描いた作品は表現主義とは異なります。
ゴヤは宮廷画家として裕福な人ばかりを描いていきました。
しかし晩年のゴヤは一般人を描きます。
作品「ボルドーのミルク売りの娘」は、光を感じます。
モネやピサロの印象派の作品に通じるような描き方です。
フランシスコ・ゴヤは自信の心と向き合い絵にぶつけることで、自分の心を奮い立たせていたのかもしれません。