芸術家たちの人生は、山あり谷ありではなく、谷あり谷ありではないでしょうか。
悩み苦しみながら生み出した作品だからこそ人の心に響きます。
芸術家を目指す人には、これから大きな谷がいくつもやってくるでしょう。
今回は、そんなときに思い出してほしい芸術家たちを紹介します。
妻が売れても負けなかった芸術家「佐伯祐三」
佐伯祐三は、30歳でこの世を去りました。
現在の東京芸術大学を卒業してからの画家人生は、「つらかった」と言えるでしょう。
佐伯祐三は、妻の米子と一人娘の弥智子とパリで暮らしながら制作活動をしていました。
妻の米子も画家であり、足は不自由でしたが画家人生としては順調に進んでいたのです。
一方の佐伯祐三は、思うような作品が描けず常に苦悩している様子でした。
作風もゴッホのようなときもあればセザンヌのようなときもあり、内面の不安定さが作品にあらわれているようです。
佐伯祐三は結核で家族を失い、自分も結核で苦しみます。
晩年は、心身ともに限界が訪れますが、最後まで絵を描き続けます。
妻が自分よりも順調に画家人生を歩んでいく姿を目の当たりにしながらも、絵の道をあきらめず描き続けたことは「負けなかった」と言えるのではないでしょうか。
佐伯祐三の妻の米子も負けなかった人です。佐伯祐三が結核で最期の瞬間を迎えているとき、一人娘の弥智子も結核で最期のときを迎えていました。
同時に夫と子どもの二人をなくした米子ですが、米子は二人の遺骨を抱えて帰国します。
そして、その後は女流画家協会を設立し、1967年には二紀展文部大臣奨励賞を受賞します。
想像を絶する波乱万丈な人生の中でも、ぶれることなく自分の人生を歩み続けた米子も負けなかった人に違いありません。
幻覚や幻聴に負けなかった画家「草間彌生」
草間彌生は、現在も人気高い芸術家です。
草間彌生は、明るい色彩とポップな作品からは想像もできないような人生を歩んでいます。
草間彌生の作品の特徴といえば、水玉模様です。代表作であるかぼちゃにしても、画面全体が水玉模様で覆われています。
草間彌生にとって、この水玉模様は単なる模様ではなく、本人には実際に見えていたり、自分の身を守るための儀式的なものだったり「意味を持ったもの」です。
草間彌生は、幼い頃から幻覚や幻聴がおこる精神的な病に苦しめられていました。
普通の人ならば、苦しめられているものから遠ざかろうとするものですが、草間彌生はその苦しみを作品にします。
作品にすることで苦しみと共存することができたのかもしれません。
草間彌生の作品やインスタレーションは、時に過激であり批判を受けることもありました。
しかし、批判に負けることなく自分の作品を貫き通すことで草間彌生は現在の知名度を獲得することができたのです。
草間彌生は、自分の病気だけでなく、周囲からの風当たりにも負けなかった強い人といえるでしょう。
写生帖が燃えても負けなかった画家「川瀬巴水」
川瀬巴水は、新版画の絵師です。
膨大なスケッチをもとにして作られる作品は、写実的でありながらもデザイン性を感じます。
川瀬巴水の人生で一番つらかったことは「写生帖が燃えてしまったこと」です。
関東大震災によって、すべての写生帖が燃えました。
川瀬巴水は、写生帖をもとにして作品を作っていたため、そのすべてが燃えてしまったときの落ち込みようはすさまじいものがあったと言われています。
しかし、版元の渡邊庄三郎はすぐに燃えてない作品などを売って資金をつくり、川瀬巴水を写生旅行に出すのです。
この旅行は102日間におよびます。川瀬巴水は、制作意欲を取り戻し続々と代表作を生み出すのです。
世間の逆風に負けなかった画家「オノ・ヨーコ」
オノ・ヨーコは、ジョン・レノンの妻で有名ですが、実は日本人アーティストです。
本名は小野洋子です。
ジョン・レノンとの出会いも展示会のひとつの作品がきっかけになっています。
オノ・ヨーコは、その行動や発言から好き嫌いがはっきりと分かれるアーティストです。
過激なインスタレーションには批判も多くありました。
オノ・ヨーコは、ジョン・レノンが生存中から批判にさらされることが多く、ちょっと気の弱い人だったら負けてしまうような人生を歩んでいます。
しかし、好き嫌いは別としてオノ・ヨーコが発してきた言葉の中には負けなかった理由が見え隠れしています。
オノ・ヨーコは、多くの言葉を発信していますが、共通していることは「自分の信念に従って前をむけ」ということです。
ジョン・レノンとの出会いのきっかけになった作品は、天井に「YES」と描かれたものでした。
何に対してYESなのか、なぜYESなのか全くわかりませんが、すべてを肯定するYESという言葉にオノ・ヨーコの負けなかった理由があるのではないでしょうか。
おわりに
佐伯祐三や草間彌生は、病という大きな壁が立ちはだかっても負けることなく制作を続けました。
川瀬巴水は、制作意欲の根源だった写生帖が燃えても負けずに再び立ち上がりました。
そしてオノ・ヨーコは強い風当たりにも屈せず自分の信念を貫いています。
負けなかったことは本人の力ですが、陰にはそれを支えた人たちがいました。
芸術家は孤独な職業かもしれません。
しかし孤独だからこそ、ともに支え合う仲間が必要なのではないでしょうか。