ミケランジェロ・ブオナローティとはどんな人物だったのか、また作品についても本記事で紹介していきます。
ルネサンス時代を代表する芸術家はたくさん存在していますが、なかでもマニエリスクの原型を作り「神の如き」とまで高く称された芸術家といえば、ミケランジェロ・ブオナローティではないでしょうか。
代表作の数々は、美術に詳しくない人でも知っているような有名なものばかりです。
ミケランジェロ・ブオナローティとは?
ミケランジェロ・ブオナローティは1475年~1564年にかけて活躍しました。
トスカーナ地方にある、アレッフォ近郊で生まれます。
しかし、生まれてすぐに父親の仕事のため、フィレンツェに移住します。
そのため、ミケランジェロ・ブオナローティは、自身の故郷をフィレンツェと語っていたそうです。
彼は6歳のときに母親を亡くしています。
幼い頃から絵に強い興味を持っていたミケランジェロ・ブオナローティですが、父親はそんな姿を快く思っていなかったようです。
13歳になると、壁画家であったドミニコ・ギルランダイオの元に弟子入りし、たった1年で裕福なパトロンと出会います。
ミケランジェロ・ブオナローティの才能を高く評価し、自分の屋敷に住ませます。
その生活のなかで、たくさんの芸術家などと出会い経験を積んでいきます。
ミケランジェロ・ブオナローティのこのあとの作品を見ると、このときの経験が強くいきていることがわかります。
その後、転機を経て1496年にローマに移住します。
そこでフランスの大使から彫刻「ピエタ」の製作を依頼されます。
自分が亡くなったあとのお墓に飾るための作品を製作して欲しいと依頼し、約2年間の月日をかけて製作しました。
ミケランジェロ・ブオナローティは当時23歳という若さで、これだけの大きな仕事に携わるチャンスを得たのです。
その後も有名な作品を数多く手掛けていますが、ユリウス2世が1513年に亡くなると建築関係の仕事も請け負うようになります。
意外と知られていないのですが、バチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂のドーム部分の設計も、ミケランジェロ・ブオナローティが行っています。
ミケランジェロ・ブオナローティの晩年は、詩をメインに作成していたと言います。
そんなミケランジェロ・ブオナローティのもとに、ローマ教皇のクレメンス7世より、システィーナ礼拝堂の祭壇を描くように命じられます。
これが彼の最後の作品でもある「最後の審判」になり、時代を超えて今でも愛されている作品の一つです。
88歳で亡くなるまで、仕事から完全に離れることをせずルネサンス人として生きました。
最後に自身の墓用のピエタ像を製作しますが完成しないままこの世を去りました。
ミケランジェロ・ブオナローティの作品はここがすごい!
ミケランジェロ・ブオナローティはルネサンス時代の全盛期に活躍した画家でもあり、彫刻家として現在に名前を残しています。
ミケランジェロ・ブオナローティがすごいのは、絵画の世界でも彫刻の世界でも、成功した人物であることです。
例えば彼の代表作の一つでもある、バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井や壁画も、時代を超えて人気のある作品の一つです。
細部にまで細かく描かれた作品の素晴らしさは、言葉で表現するのが難しいかもしれません。
実はこの作品は、約4年の歳月をかけてミケランジェロ・ブオナローティがたった一人で描いたものだと言われています。
他の画家が手掛けた場所がないこと、足場をつかい300人以上にもなる人々を描いた作品です。
その一人ひとりに物語がありメッセージを持っています。
ミケランジェロ・ブオナローティはこの異形からも「神のミケランジェロ」とも称される画家であり、彫刻家としてその名を世界に知られるようになるのです。
ミケランジェロ・ブオナローティの有名な作品を紹介
ミケランジェロ・ブオナローティの作品にはさまざまなものがあります。
なかでも絶対に抑えておきたい、有名な作品について紹介していきたいと思います。
アダムの創造
あまりに有名な絵画なのもあり、一つの作品のように思われがちですがシスティーナ礼拝堂のフレスコの一部に描かれたものです。
この絵画は、神様の力によってアダムに命が吹き込まれた瞬間を描いたものになり、手の動きはもちろん、男性の筋肉美にも目が奪われます。
神様のまわりを囲む天使にもそれぞれ違った表情が描かれるなど、部分的な絵のなかにこれだけの物語を作り出すのは、ミケランジェロ・ブオナローティが天才である証明です。
サン・ピエトロのピエタ
若干23歳のときに製作した彫刻作品になり、依頼を受けました。
処刑されたイエスを抱きかかえているのは聖母マリアです。
嘆き悲しむ姿をモチーフとして製作した、大理石彫刻です。
両者の人間関係が伝わってくる、とても現実感のある作りや表情、仕草などとてもこだわり抜いて作られたものであることが伝わってきます。
迫力のある作品でもあり、技術力の高さで有名ですが、ミケランジェロ・ブオナローティの24歳のときの作品だと言われています。
この作品でミケランジェロ・ブオナローティの評価がより高まったのはいうまでもありませんね。
ダヴィデ
ミケランジェロ・ブオナローティの代表作とも言える、最も有名な作品です。
肉肉しい男性の体の彫刻や絵画といえば、ミケランジェロといっても過言ではないほど、定評があります。
ダヴィデは、5.17mの大きな大理石を使用して作られた彫刻です。
ミケランジェロ以外にもダヴィデを題材にした作品は数多く存在していますが、多くが怪物のゴリアテを睨みつけているものです。
そこでミケランジェロはあえて同じポーズにせずに勇敢な印象のダヴィデを製作したといいます。
この像は下から鑑賞する専用の彫刻のため、全体のバランスや遠近法を用いて頭を少し大きめに作るなどの調整をしています。
現在はアカデミア美術館に所蔵されており、大きさもあってとても迫力があります。
聖家族と幼児洗礼者ヨハネ
丸くくり抜いたデザインのなかに描いた有名な作品です。
ドーニ一家より依頼を受けて製作したものになり、唯一帰属ははっきりとしえちるものになります。
題材となったのは、中心にいる聖母マリアとキリストをメインとしたものになり、周囲に聖人が囲んでいます。
こちらの作品はとても奥深いものになり、大切な我が子に対して見上げるマリアの顔が、とても愛情深く見えますよね。
優しい母親の顔をしています。
ミケランジェロ・ブオナローティは男性的な筋肉美を描かせたら、右に出るものはいないほどに有名な画家です。
マリアの人体表現がなんとも力強いのはミケランジェロならではだと思います。
マンチェスターの聖母
1497年頃に製作されたものになり、現在はナショナル・ギャラリーに保管されています。
実はミケランジェロ・ブオナローティの作品には未完成のままで終わっているものも多く存在し、その一つとして知られているものです。
一時期は本当にミケランジェロの作品7日疑問に持たれていたときもありますが、現在ではほぼ間違いないと判断されています。
聖家族がエジプトへの頭皮途中のなかでヨハネと出会った構図を描いたものです。
まとめ
ミケランジェロ・ブオナローティの作品は、どれも素晴らしいものばかりです。
絵画にしても彫刻にしても、それぞれに代表作を持ち後世に伝えられているのは、いかに才能に溢れた人物だったのかがわかるのではないでしょうか。