浮世絵には、雨が降っている様子がしばしば描かれています。
しとしと降る雨からザーザーと音をたてて降る激しい雨まで表現の幅は豊かです。
また、浮世絵の雨の強さや情景を伝える表現方法は絵師によって変わります。
この記事は、たくさんの浮世絵の中から、とくに雨が降っている様子がきれいに描かれている浮世絵を3作選んで解説します。
線がないのに雨がみえる浮世絵|『新橋ステンション』小林清親
小林清親は、いわゆる浮世絵とは一味違った雰囲気を持っています。
「光線画」とよばれる光と光によって生まれる影を意識した描き方で、それまでの浮世絵ではあまりなかった技法を取り入れています。
明治に入ってから活躍した小林清親の作品には、近代的な建物や馬車が登場します。
自然の美しさだけでなく、人工物がもつ美しさも表現しています。
「新橋ステンション」には新橋駅の駅舎が描かれています。
当時の新橋駅(現在の汐留)は、アメリカ人建築家のリチャード・ブリジェンスによって設計されました。
新橋駅駅舎と銀座レンガ街は明治の文明開化の象徴として多くの浮世絵や錦絵、写真に残されています。
「新橋ステンション」は、夜の新橋駅が描かれています。
雨の線がハッキリと描かれているわけではありませんが、多くの人が傘を差している様子と地面に光が写り込んでいる様子から雨が降っていることがわかります。
空は、濃いグレーと黒の2色で表現されていますが、奥行きを感じます。
奥行きを感じる理由は、版木の木目が出ているからでしょう。
新版画は、色ごとに版木を作って1色ずつ刷り上げます。
濃い色で面が大きい版木は、版木の木目が出るのです。
小林清親は、風刺画や歴史、戦争画と幅広いジャンルの絵を描いています。
火事がおきたときには、スケッチ帳を持って現場に走りスケッチをしました。
雨の陰鬱さが伝わる浮世絵|『旅みやげ第一集陸奥蔦温泉』川瀬巴水
川瀬巴水は、雨よりも雪景色を多く描いています。
川瀬巴水は、いわゆるきれいな景色を選んで描くのではなく、日常によくある風景を描くことで有名です。
「旅みやげ第一集陸奥蔦温泉」は、色鮮やかな作品が多い川瀬巴水には珍しく、画面全体が暗く色数が極端に少ない作品です。
雨は細い白い線で描かれています。
この浮世絵に描かれている一軒家は、青森県の奥入瀬にある蔦温泉の一軒宿です。
この作品は、川瀬巴水が蔦温泉に泊まったとき、夜中に寂しくなって外に出たときのエピソードがもとになっています。
川瀬巴水が、寂しさのあまり外に出てみると、雨が降る暗い森の中に1軒の建物をみつけた様子を描いたものです。
川瀬巴水が描く夜の作品には、必ずといっていいほど月があり、月に照らされた景色は青色で表現されています。
月ではなく、一軒宿の小さな窓からもれている光を描き、青ではなく黒で表現された夜の風景は、独特の陰鬱さと一軒宿が持つ温かみを見事に対比させて雨を表現しています。
「旅みやげ第一集陸奥蔦温泉」と似た雨の表現をしつつも受ける印象が全く違う浮世絵が「旅みやげ第三集対馬城崎」です。
暗い画面の中には、点々と建物からもれる光が描かれ、雨は黒く強い線で描かれています。
雨の強さは蔦温泉の一軒宿よりも強いのですが、寂しさはあまり感じません。
画面右には、傘を差した人がいて「人の気配」を感じます。人の気配と多くの明かりが寂しさを感じさせないのではないでしょうか。
浮世絵ならではの雨の表現|『東海道五拾参次之内庄野白雨』歌川広重
歌川広重は、江戸時代の絵師で雨の浮世絵を見事に描くことで有名です。
中でも「日本橋之白雨」は、雨に濡れた風情を見事に表現しているといわれています。
歌川広重が描く雨の浮世絵といえば「大はしあたけの夕立」が有名です。
太めの線で一本一本描かれた雨は夕立らしく強い雨を感じます。
歌川広重が描く雨は、強めの線で一本一本描く特徴がありますが、「東海道五拾参次之内庄野白雨」は描き方が異なります。
薄いグレーの面で斜めに降る雨を表現しています。
強い線はありませんが、背景に描かれている木のシルエットから強い風と雨が降っている様子が伝わります。
題名にある「白雨」とは、空は明るいのに降る雨、つまりにわか雨です。
この浮世絵は、地面が右下がりの坂になっていて、交差するように雨が描かれています。
背景の木が斜めになっているだけではなく、手前は濃い墨で奥は薄い墨で摺ることで雨が背景をかき消している様子がわかります。
歌川広重の作風は、多くの絵師に影響を与えました。
昭和に活躍する川瀬巴水は「昭和の広重」と呼ばれ、明治に活躍する小林清親は「明治の広重」と呼ばれます。
広重の描いたさまざまな雨の表現は、その後の浮世絵や新版画の基礎となっています。
おわりに
歌川広重は江戸時代、小林清親は明治時代、川瀬巴水は昭和時代に活躍しました。
3人の絵師が活躍した時代はバラバラですが、浮世絵が持つ魅力は受け継がれているように感じます。
雨は雨であり、時代が変わっても雨が変わることはありません。
しかし、歌川広重と小林清親と川瀬巴水の描く雨の浮世絵には時代の変化を感じる不思議さがあります。