都心や大きな都市の美術館、観光地の美術館などは、とても混雑しているところが多くなっています。
休日ともなれば入場制限や長い待ち行列ができることも。
そんな人ごみを避けるために美術館から足が遠のいている人も多いのではないでしょうか。
この記事では、ゆっくりと静かに鑑賞したい人におすすめの小さな美術館を紹介いたします。
おみやげもうれしい「六花の森(坂本直行)」北海道
「六花の森」は、北海道河西郡にある美術館です。
坂本直行という画家の名前を知らない人でも、作品を知っている人はたくさんいます。
北海道のおみやげで有名な六花亭の包装紙を描いた人です。
坂本直行は、幼い頃から自然に興味をもっていました。
1961年に登場した六花亭の包装紙には、北海道十勝の植物が69種類描かれていました。
六花の森の中にある「花柄包装紙館」には、坂本直行が描いた包装紙が壁紙のように貼られています。
さらに花柄包装紙館の隣には、サイロ歴史館が続きます。
「サイロ」は、1960年に創刊した児童詩誌で坂本直行は表紙の絵を担当していました。
大きな美術館のように、作品が重々しい額におさめられ、一定間隔で飾られてはいません。
広大な土地のなかにテーマごとに分かれた小さな美術館が点々とたち、作品は素朴な展示方法で飾られています。
作品をみる美術館というよりも、作品が生み出された環境を体感する美術館です。
鑑賞を終えたらカフェで休憩をすることができます。
併設されているロッカフェでは、六花亭の有名お菓子「マルセイバターサンド」にアイスクリームがはさめられたアイスサンドを食べることができます。
「美術館の楽しみは併設カフェでゆっくりすること」という人には、最高の美術館ではないでしょうか。
本物がみたい「香月泰男美術館(香月泰男)」山口県
地方には、ひとりの画家の作品を集めた小さな美術館があります。
好きな画家の作品をたっぷりと鑑賞したい人は旅行しながら楽しむことができます。
香月泰男美術館は、山口県長門市にあります。
香月泰男は、1911年に山口県長門市に生まれました。
東京美術学校(現在の東京芸術大学)油絵科を卒業し、美術教師として働きます。
しかし戦争が始まり、終戦後はシベリアに抑留されます。
帰国してからは、シベリアでの体験をもとにしたシベリアシリーズを制作します。
香月泰男は32歳で召集されました。
香月泰男の作風は、シベリア体験によって変わります。
1974年に発表された「雪の海」は、暗い日本海に雪が降っています。
シベリアの寒気を感じる作品です。
作品「菜の花」は、27cm×21cmの小さな作品ですが、いろいろな感情を感じる作品です。
方解石という石の粉末を混ぜた絵の具で地塗りしたキャンバスに木炭の粉末を混ぜた絵の具が塗ってあります。
ごつごつとした暗い背景に一輪の菜の花が描かれています。
菜の花は一輪ですが、茎や葉は太く、花は黄色い絵の具が盛り上がるように塗られいきいきと描かれています。
厳しい環境の中で一輪の菜の花が凛と咲いているように見える作品です。
画像や写真からも強い印象が伝わる作品ですが、本物を生で観たいと思います。
大きな美術館では、たくさんの画家の作品をみることができますが、香月泰男のようにさまざまな画風のある画家の作品は、ひとりの画家に特化した美術館でたくさんの作品を観る方が変化を感じることができるのではないでしょうか。
この場所に行って観たい「田中一村記念美術館(田中一村)」鹿児島県
田中一村記念美術館は、鹿児島県奄美大島にある美術館です。
田中一村は、東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科に入学しますが、わずか3ケ月で中退しました。
中退の理由は明らかになっていませんが、田中一村が描きたかった南画を指導できる人材がいなかったことも理由のひとつといわれています。
中退した田中一村は画壇に入ることもなく、奄美大島に移住して大島紬の染色工として働きながら絵を描き続けました。
69歳でこの世を去ってから、作品は注目され始めた画家です。
大学の同期には東山魁夷がいます。
田中一村は、パパイヤやソテツなど南国の植物を描いています。
色数をおさえているにもかかわらず、日本画ならではの繊細な陰影が南国の空気感を伝えています。
田中一村記念美術館は、空港から車で10分の場所にありながらも現実離れした建物で、田中一村のように個性的な雰囲気です。
田中一村の作品は、都会の打ちっぱなしのコンクリート造りの美術館ではなく、奄美大島の空気の中でみたいと思います。
おわりに
今回は、ゆっくりと静かに鑑賞したい人におすすめの小さな美術館を紹介しました。
美術や芸術には時や場所を選ばずに心を解き放つ力があります。
「今年はここに行きたい」「この作品を見に行きたい」と思いながら、今はまだ知らない小さな美術館を探してみてはいかがでしょうか。
優れた作品は、あるべき場所でみるべき人がやってくる時を待っています。