人の心に響く写真作品を撮るのは、写真家であってもなかなか難しいものです。
ところが、それを成し遂げて、私たちに影響を与え続ける写真家も確かに存在しています。
私たちはなぜそんなにその作品が心に訴えかけるのか、その作品や写真家、さらには、その愛される巨匠たちに触れることで、きっとその本質に近づくことができるのではないでしょうか。
では、さっそく見ていきましょう。
ユージン・スミス(1918〜1978)
ユージン・スミスは、第二次世界大戦中に戦争写真家として活躍したことで知っている人も多いことでしょう。
彼は、サイパンや硫黄島、沖縄などへ派遣されましたが、沖縄戦の被弾で26歳の時に全身負傷という災難に遭遇してから、以降、大変苦しみました。
1961年、1971年と来日を続け、ユージン・スミスは、戦争や公害の恐ろしさを世界中に伝えました。
写真集「MINAMATA」
1975年のこの写真集では、四大公害病の一つである水俣病を撮り、公害汚染に苦しむ漁民たちのそばに常に寄り添い、高い評価を得ています。
水俣患者の抗議運動に同行した際、数十人に暴行され失明寸前になったというのに日本を恨む言葉を全く口にしなかったのは、彼が戦争の怖さをよく理解していたからに違いありません。
「楽園への歩み、ニューヨーク郊外」
1946年の作品。真っ暗な場所から差し込む光の方向へ二人の子供が歩いていく後ろ姿は、あるがままの姿を表現していて、思わずずっと見続けてしまう作品になっています。
この子供たちは、なんとユージン・スミスの息子と娘の姿なのだそう。
戦後の大負傷した戦争から帰還後に撮られたこの写真は、「人間家族展」に出展され、注目とともに話題性ある作品となりました。
セバスチャン・サルガド(1944〜)
ブラジル出身のセバスチャン・サルガドは、サンパウロ大学で経済学を学びつつ、軍事政権に反対して学生運動にも力をいれていたようです。
彼のその作風は“神の目を持つ”写真家として評されているほどの巨匠でもありますね。
「Serra Pelada Gold Mine」
セバスチャン・サルガドは、1970年代にゴールドラッシュを迎えたブラジルのセラペラダ金鉱を1986年に取材、その劣悪な労働環境を作品として写真に収めました。
暴力、治安関係などの多くの問題がある中で、その写真がモノクロであることで、より一層に植民地時代や奴隷制度のありかた、悲惨さを訴えることができています。
映画「地球へのラブレター」
2014年製作。
ヴィム・ヴェンダース監督により創られたこの作品は、ドキュメンタリー映画であり、写真家セバスチャン・サルガドに焦点を当てて創られたものです。
環境活動家であるセバスチャン・サルガドが真正面から戦争、飢餓、宗教、環境などに向き合っているのが、とてもよくわかります。
そこでは、そのひとコマひとコマを切り取ってく様を丁寧に表現しています。
報道写真家としての生きざまがよくわかることでしょう。
マン・レイ(1890~1976年)
画家、写真家、彫刻家、映像作家でもあるマン・レイは、ニューヨーク・ダダの活動やシュルレアリスムにおいても同様に重要な役割を果たしました。
シュルレアリストたちの集合写真やポートレイト写真などを用いて記録化させています。
涙
1932年のこの作品は、マン・レイ撮影の中で評価が最も高いもののひとつです。
この作品は、「芝居」がコンセプトということもあり、そこには、しっかりマスカラを施された女性の目から大粒の涙が。
女性は、上の方向を悲しげに見ていますが、その涙はガラス玉であって本物ではありません。
さらに、人間ではなく、ファッションマネキンを用いることで、偽りの涙を演出しています。
この作品は、恋人と別れた後にすぐ制作されたとのことで、その別れた女性への復讐の意味が込められているのだとか。
アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908~2004年)
彼は、ガンジーの死やインドネシアの独立など、歴史的瞬間を数多く撮った報道写真家でもあります。
ブレッソンは、何と言っても『決定的瞬間』を撮るとして知られていますが、実は、アメリカとフランスでは解釈が違ったりします。
フランス版の原題は『Images a la sauvette』であり、直訳すると「逃げ去るイメージ」。
一方、アメリカ版の原題は『The Decisive Moment』であり、まさに「決定的瞬間」となっているのですね。
彼の写真は、実に未分化な部分があり、それが最大の魅力と言えるかもしれません。
「The Decisive Moment」
1953年のこの写真作品集は、何を撮るか、ではなく、どう撮るかがテーマになっています。
彼の代表的作品であり、多くの人が目にしたことがあるものとして「hyères」がありますが、とても有名な作品のひとつとなっていますよ。
エリック・ヨハンソン(1985年~)
スウェーデンの写真家エリック・ヨハンソンは、不思議で美しく幻想的な世界を映し出すことで知られています。
「これって写真?」と思う人もいるはずですが、画像の合成やレタッチはしっかり利用しつつ、ほとんどは実際に撮影した画像を用いて制作しています。
不思議な写真たちは、ひとつの作品につき数週間から数ヶ月かけて完成へと導かれています。
「Imminent」
「一発触発の・緊迫した」というタイトルですが、なんと但し書きには、「心配しないで。 すべてが大丈夫だよ(Do not worry、it’ll all be fine)」という記述が。
一瞬緊迫したイメージを受けますが、そのメッセージとともに穏やかな風景が存在していて、その対比が絶妙です。
「Do not Look Back」
「振り返るなかれ」というタイトル作品ですが、壊れた過去、過ぎ去った過去を振り返らず、前へ進もうとする女性の姿が印象的です。
他にも花瓶を落とさないように手で持ったのはいいけれど、実際には支えたほうの自分の腕が割れている・・・実にユニークで巧妙なイメージの写真もありますね。
土門 拳(1909年〜1990年)
山口県出身、酒田市には土門拳記念館があります。
昭和の代表的なリアリズム写真家として有名で、寺や仏像の写真「古寺巡礼」シリーズ、著名人のポートレート「風貌」シリーズ、「ヒロシマ」シリーズなど、傑作を多々残しています。
日本人のその時代ごとの心を巧みに捉え、「絶対非演出の絶対スナップ」として独自の写真を展開しましたね。
徹底的なリアリズムがそこにあります。
「近藤勇と鞍馬天狗」
1955年のその頃の東京下町で、子どもたちがイキイキと遊ぶ姿を撮っています。
みんなが貧しく、でも元気に溢れて眼を輝かせて遊ぶ子どもたちがそこら中にいた時代、ポケットにはきっと、キャラメルをしのばせていたかもしれないと空想しながら見入ってしまいます。
足や手のかまえ、肩や腰の動きなどを含めて、たくましい子どもたちが躍動している姿は微笑ましいものがありますね。
「母のない姉妹」
1959年のこの作品は、いわゆる「エネルギー革命」のもとに石炭から石油への強行政策で、九州の炭田地帯では失業者がとても多くなりました。
筑豊の閉山は、そんな失業した親たちの困窮する様子とともに、そんな親たちを持った子どもたちの現状の様子がリアル観もって映されています。
まとめ
このように写真を眺めていくと、世界的な写真家とされる巨匠たちは、実に真摯に現実と向き合っていることがわかるのではないでしょうか。
私たちは、写真一つひとつから与えられる印象だけではなく、時代やその背景、さらにはその写真家が求めている真実を知り、写真が単に映ったもののみではないことに驚かされます。
芸術は実に奥が深いですね。