葛飾北斎の代表作は71歳から74歳の間に描かれたものが多いです。
富嶽三十六景もこのころに描かれました。
晩年になっても絵に対する情熱は増す一方で90歳まで描き続けます。
この記事では、葛飾北斎の生い立ちと作品について紹介いたします。
葛飾北斎とは
葛飾北斎は、宝暦10年(江戸時代)に東京で生まれました。
時太郎という名前が付けられ幼いころから絵が好きな子どもでした。
15歳ごろになると彫刻家に入門し版木彫の職を希望します。
葛飾北斎は、版木彫としても優れた腕をもっていましたが、19歳になると浮世絵師の勝川春章に入門します。
33歳のときに師匠がこの世を去ると勝川派を離脱して宗理派に入ります。
しかし3年後には再び宗理派を飛び出して、以降はどこの派にも属さずに自分の作品を描き続けます。
葛飾北斎はたびたび名前を変えています。
時太郎から鉄蔵、勝川春朗、宗理そして北斎辰政からさまざまな名前を経て葛飾北斎へと変わります。
すべてを数えれば相当な数になるでしょう。
北斎は、名前を売ってお金にすることで生活費を稼ぎ、絵を描く時間を作っていました。
肩書や名前に頼ったりこだわったりすることなく「絵を描く」ということだけにこだわりを持ち続けていたことがわかるエピソードです。
葛飾北斎は、酒もたばこもやっていません。
食事や服にも興味を示さなかったといわれています。
葛飾北斎の代表作は71歳から74歳の間に描かれたものが多いです。
富嶽三十六景もこのころに描かれました。
晩年になっても絵に対する情熱は増す一方で90歳まで描き続けます。
絶筆といわれる「富士越龍図」を最後にして90歳でこの世を去ります。
北斎のデッサン集「北斎漫画」「北斎写真画譜」
葛飾北斎といえば一枚の紙に描かれた浮世絵版画です。
しかし実は「北斎漫画」とよばれる本がとても有名です。
北斎漫画は、1冊が60ページほどあるもので欧米では「北斎スケッチ」とよばれています。
漫画といっても、現代のストーリーがあるマンガとは違い、人間や動物や植物のデッサンがつまった画集です。
中にはクスッと笑いが出てくる絵もあり、葛飾北斎のユーモアのセンスを感じます。
「北斎写真画譜」は、見開きにひとつの絵が大きく描かれている豪華な本です。
画譜とは絵手本のことで、シーボルトがオランダに持ち帰っています。
北斎のアニメーション本「踊独稽古」「画本早引」「略画早指南」
「踊独稽古」は、踊りの稽古に使う本として作られました。
北斎が丁寧に描いた絵の動きはなめらかで端からみているとアニメーションのようです。
人の動きだけでなく、顔の表情も小さな顔の中に丁寧に描かれ、みているだけで楽しくなる作品です。
「画本早引」は、前編と後編の2冊があり1300個以上の絵がつまっています。
「仲たがい」や「ののしる」のように形がないもの絵をいろはの順にまとめてあります。
少ない線で人の顔には目鼻口が描かれていないにもかかわらず、動きだけで「ののしっている」「ケンカをしている」と伝わる北斎の技術の高さを感じます。
「略画早指南」は、絵の描き方を図解している絵の教本です。
例えば、鶏ならば正方形を6個組み合わせることで形を作ります。
説明文には「四角にて鶏を描く法。鶏は四角なるところはなけれども、かくのごとくするときは、その形が違うことなし」と書いてあります。
サルは三角と四角というように定規とコンパスを使って骨格を描く方法が描かれています。
北斎のとびぬけたデッサン力によって描かれた作品は、ドガやゴーギャンなど印象派の画家にも影響を与えました。
葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景シリーズ」
富嶽三十六景シリーズは、46枚セットです。
中でも「神奈川沖浪裏」は大胆な構図が印象に残ります。
実は、この波の位置と富士山の位置は適当に描かれたものではなく、緻密な計算にもとづいて位置が決定されているのです。
葛飾北斎は「略画早指南」で定規とコンパスを使って描く方法を紹介しています。
「神奈川沖浪裏」も定規とコンパスを使って位置が決定されています。
その後、富嶽百景(単色のシリーズ)を描きますが、大胆な構図が庶民には理解されず、あまり売れませんでした。
葛飾北斎は、売れなかったことから風景画から撤退し、新しいジャンルに移行していきます。
まとめ
葛飾北斎は、75歳の時に描いた富嶽百景を簡単に説明すると
「私は6歳作品から絵を描き、50歳から数々の作品を発表したが、70歳以前に描いた作品は取るに足らないものばかり。しかし73歳にして鳥獣虫魚の骨格や草木のなんたるかがわかり、さらに86歳までは技が向上し、90歳になれば奥義を極めるだろう。100歳までには神妙の域を超えて百何十歳になれば一点一格が生きているようになる。長寿を司る神よ、お願いです。私の言葉が嘘でないことをみていてください。」
と書いています。
75歳といえば、すでに富嶽三十六景の凱風快晴や駿州江尻など有名作品を描いた後です。
それでもさらに腕を磨いて百何十歳まで絵を描き続けたいといっています。
葛飾北斎は90歳という長寿でしたが、最期には「あと5年生きられれば真の画工になってみせる」と言葉をのこしてこの世を去っています。
自分の技に厳しくストイックに絵に接した葛飾北斎には「画家」というよりも「絵師」という言葉がピッタリです。