美術作品は、有名なオブジェほど作品のサイズが「大きい」と感じる傾向があります。
「モナ・リザ」や「考える人」はその典型でしょう!作品はサイズも含めて作品です。
大きいものを小さくせず、ありのままのサイズ感で鑑賞することも美術鑑賞の大切なポイントかもしれません。
この記事では、大きいといわれる有名な美術作品について解説いたします。
島にドン!大きいオブジェ「黄かぼちゃ」草間彌生
「黄かぼちゃ」は、現代美術家の草間彌生が1994年に制作した彫刻作品「南瓜」です。
さまざまな「南瓜」をモチーフにした作品があるため、区別するために「黄かぼちゃ」と呼ぶことがあります。
「黄かぼちゃ」は、香川県の瀬戸内海に浮かぶ直島のベネッセハウスミュージアムに屋外展示されている作品です。
「黄かぼちゃ」は、人気の高さから小さなオブジェにして発売されています。
しかし、ベネッセハウスミュージアムに展示されている「黄かぼちゃ」は、その展示方法によって作品の魅力が数段アップしているのです。
瀬戸内海にせり出すような細長い桟橋の先端にポツンと置かれたように「黄かぼちゃ」は展示されています。
その存在感はすさまじく、背景の海に引けをとりません。
大きな彫刻やでっかいオブジェは、その大きさ自体が作品の魅力となっています。
同じ作品でも小さくしたものでは、魅力が半減してしまうこともあります。
大きな彫刻を楽しむためには、作品を小さくするのではなく、作品の大きさを感じられる二次元の手段を用いるほうがいいのではないでしょうか。
「黄かぼちゃ」は、瀬戸内海の青色と壮大な背景とあわさることで、さらに作品の迫力と魅力が増しています。
二次元にすることで「黄かぼちゃ」をそのまま家に持ち帰ることが可能になります。
草間彌生の作品の中に「黄かぼちゃ」に似た平面作品「A PUMPKIN(Y)」があります。
背景は海ではなく黒地に黄色い線、かぼちゃの形も直島の作品とは違い別の意味で迫力があります。
シルクスクリーンで販売されていますが、草間彌生の作品は人気が高くどれも数百万円の高値で取引されています。
神々しい迫力!大きいオブジェ「ミロのヴィーナス」アレクサンドロス
「ミロのヴィーナス」は、ルーブル美術館に展示されている203cmの大きな彫刻です。
とても有名な作品ですが、正面からみた作品は知っているけれど、後姿はあまり有名ではありません。彫刻のすばらしいところは360度が作品である点です。
「ミロのヴィーナス」には、もちろん後姿があります。
背中の筋肉表現、布が落ちかけている様子は正面よりもリアルです。
「ミロのヴィーナス」は、とても有名で人気があるため、小さなオブジェや日用品に印刷されています。
しかし「ミロのヴィーナス」の一番の魅力は肉感ある豊満な体です。
身長が大きいだけでなく、ウエストも現代の女性では「太い」といわれるくらいのサイズです。豊満な体の表現は、やはりそれなりの大きさがなければ感じることは難しいのではないでしょうか。
黄金比という言葉があります。黄金比で構成されているものをみたとき、多くの人は「美しい」と感じます。
実は「ミロのヴィーナス」も全身が黄金比になっているのです。
そのため、上半身だけをトリミングしたり、腹部だけをトリミングしたりしてしまうと全身の黄金比が崩れてしまいます。
「ミロのヴィーナス」の魅力を最大限に感じるためには、トリミングしないことをおすすめします。
寝ている!?大きいオブジェ「ワット・ポー」タイ
タイ・バンコクの観光地にある「ワット・ポー」は、お寺の名前です。
ワット・ポーには、全長46mの仏像があります。
全身が金色で大きさと色だけでも迫力満点ですが、その姿にさらに衝撃を受けます。
よくみかける多くの仏像は座っています。
しかし「ワット・ポー」にある仏像は横になって寝ているのです。
しかも、ひじを曲げて枕にしています。
実は、この仏像は「涅槃仏」という仏像で、寝ている意味は「煩悩が消えて悟りをひらいた状態」です。
つまり、寝ている仏像は休んでいるのではなく、もっとも高い位置にいること仏像になります。
この仏像は大きさだけでなく、足の裏に施された文様もみごとです。
ここまで大きくなると写真におさめようとしても全身をいれることは難しく、ほとんどの写真は頭部もしくは足の部分をうつしています。
「ワット・ポー」の壁や天井には、こまかい絵がたくさん描かれています。
大きな仏像と細かな絵の対比も「ワット・ポー」の見どころです。
番外編:実は門の一部!「考える人」オーギュスト・ロダン
ロダンの「考える人」は、大きいオブジェのイメージがあるのではないでしょうか。
しかし元も作品は「地獄の門」という門の上につくられた63cmの作品です。
「地獄の門」をみれば、作品がそれほど大きくないことに気がつくでしょう。
そして、考えているようにみえるポーズは、考えているのではなく下に彫られている「地獄におちていく人々」をみている姿です。
「考える人」は、裁判官ともロダン自身ともいわれています。