絵を描く人や作品を制作する人は「すごいわね。私にはセンスがないから無理よ」と言われることがあります。
たしかに「絵を描く」や「作品を制作する」ということは、何かをみたときに何かを感じなければできることではありません。
何も感じずに絵を描くだけならば、それは制作ではなく記録です。
「私はセンスがないから無理よ」と言う人は、センスや感性がないわけではなく、感じたことを形にする技術がないだけではないでしょうか。
美しい雲をみて美しいと感じたり、こわい人と出会って不気味と感じたりする気持ちがあれば、あとは「見える化」する技術が備わるだけで絵や作品制作はできます。
絵や作品は感性とセンスを「見える化」したもの
「ムンクの叫び」はとても有名です。
中心に描かれている人は人物画としてみれば「うまい」とは言い難い絵かもしれません。
しかし、ムンクが当時感じた不安感は見事に表現されています。
不安感のように形がないものをムンクの技術とあわせて「見える化」しているのです。
芸術は、ジャンルは違っても感性やセンスの形を変えたものです。
絵や彫刻に変えれば美術になり、音に変えれば音楽になります。
言葉に変えれば文芸になり、動きに変えれば踊りになるのです。
「見える化」する技術は教育で手に入れる
感性やセンスが優れていても「見える化」するには技術が必要です。
油絵の場合、絵を描くには道具の使い方や色ののせ方は学ばなければなりません。
頭の中でイメージが浮かんでも、イメージを形にする技術が伴っていなければ、満足できる「見える化」ができません。
技術は教育で得ることができます。
美大受験予備校では、道具の買い方から使い方、片づけ方まで指導します。
専門学校では、より具体的な技術指導を受けられるでしょう。
一方、美術大学では技術指導は少ししか行っていません。
基本的な知識は、美大入学前に得ているはずです。
入学後は、よりセンスと感性を磨きます。
そして「見える化」する手段の種類をみつける機会が豊富にある場所が美術大学なのです。
しばしば美術大学と専門学校の違いを聞かれます。
絵の描き方やテクニックを学びたい人は、美術大学よりも専門学校の方がいいでしょう。
一方、自分のセンスや感性を磨き、表現方法をみつけたいという人には美術大学がいいでしょう。
どちらでも絵や作品制作はできるようになります。
ただ学ぶ内容や求める内容に違いがあるのです。
自分の感性やセンスを「見える化」する手段には向き不向きがあります。
油絵の表現があう人もいれば映像表現があう人もいます。
よりたくさんの表現方法や感じ方を知っておくことは、その後の作家人生を大きく左右するポイントになるのではないでしょうか。
絵の感性とセンスは鑑賞で活きる
美術には5ジャンルがあります。
絵画・彫刻・工芸・デザインそして鑑賞です。
鑑賞以外の4ジャンルは感性とセンス以外に「見える化」する技術が必要でしょう。
しかし鑑賞は感性とセンスがあれば、だれにでも今すぐできます。
最初に登場した「私はセンスがないから無理よ」と言った人にいきなり「油絵を描け」と言っても描けません。
それはセンスや感性がないからではなく、感じたことを「見える化」する技術がないだけなのです。
美術を楽しむ方法は「絵を描く」「作品を作る」ということだけではありません。
歴史上の有名な作品には、高い技術と感性で描かれたものがたくさんあります。
それらを鑑賞することも立派な美術です。
モナ・リザを鑑賞しても「意外と小さいわね」とだけ感じる人もいれば「レオナルドは手のふっくらしたところに感動したのね」「この絵から宇宙を感じる」という人もいます。
中には作品をろくにみもせずに「有名なモナ・リザの写真をスマホで撮った」だけで満足する人もいるのです。
「絵を描きたいな」と思う気持ちがある人は、絵の魅力を知っている人であり、絵を鑑賞するセンスや感性は十分にもちあわせている人です。
モナ・リザの素晴らしさが理解できなかったとしても、駅に掲示されているポスターや和菓子の包み紙をみて「きれいだな、捨てないでとっておこう」「このポスター欲しいな」と感じられる人はセンスと感性を持っています。
もしも「絵を描いてみたい」と思うならば、あとは技術を習得するだけです。
おわりに
今回は、「絵を描くということは、感性やセンスを見える化することである」ということについてご説明しました。
頭で感じたことをそのまま絵や作品に100%表現できた経験がある人は、ほんのわずかしかいないでしょう。
レオナルド・ダ・ヴィンチでさえもモナ・リザは最期まで手元に置いて手直しを続けたと言われています。
感性やセンスをしっかりと持っている人でも、それを表現する技術が伴うまでには時間と経験が必要です。
逆に高い技術を持っている人でも、それに見合う感性とセンスを手に入れるまでには、さまざまな人生経験が必要になるでしょう。
高い感性がある人は高い技術を目指し、高い技術を持っている人はより高いセンスを求めます。
限界のない世界だからこそ美術は高貴であり、長い年月人類が大切にしてきたのではないでしょうか。