ゴッホは「変わった人」「かわいそうな人」というイメージが強くあるかもしれません。
しかし、ゴッホは夢をもった人で繊細かつ純粋すぎた人です。
ゴッホの名と作品は、真の姿を理解した人達に支えられ、私たちの時代に残り価値を認められています。
この記事では、知れば知るほど好きになる画家、ファン・ゴッホの人生を紹介いたします。
フィンセント・ファン・ゴッホの人生
ゴッホは1853年に牧師の子どもとしてオランダで生まれました。
ゴッホが生まれる前に「ゴッホ」という名の男の子が一人生まれていました。
しかし第一子であるゴッホは生まれた直後にこの世を去ったため、次に生まれたゴッホも同じ名前「ゴッホ」と名づけられました。
ゴッホには、ゴッホを長男として弟が2人、妹が3人いました。
中でも4歳下の弟テオはゴッホの人生を支えた重要な人物です。
ゴッホは、中学校を中退します。
その後、16歳で働きますが20歳ごろに解雇されます。
その後は牧師になろうと努力しますが、牧師として採用されることはなく27歳からは絵の道を進みます。
画家になろうと決心しても収入はありません。
弟テオからの仕送りに頼る生活が始まったのです。
33歳ごろにはロートレックやゴーギャンとの出会いがあります。
ゴッホは、アルルに移住しゴーギャンと共同生活をしますが、すぐに「耳切り事件」を起こし、ゴーギャンとの生活は終わります。
このころからゴッホの精神的な病気は悪化し、弟テオが結婚すると同時期に精神病院に入院するのです。
入院中も精力的に絵をゴッホは描きますが、そのタッチは荒く暗くなっていきます。
そして弟テオに子どもが生まれた年にゴッホは拳銃自殺によって37歳という若さでこの世を去るのです。
ゴッホの人生を支え続けた弟テオも半年後に後を追うようにしてこの世を去ります。
今でこそゴッホを知らない人はいません。
しかし、ゴッホが生存中に売れた絵は、たった一枚でした。
ゴッホが描いた作品の多くは弟テオに仕送りのお礼として贈られています。
ゴッホの「耳切り事件」の真相
ゴッホといえば「ひまわり」「耳を切った人」というイメージが強いかもしれません。
実は「ひまわり」も「耳切り事件」もゴーギャンが関わっています。
ゴッホの夢は「画家の共同体をつくること」でした。
その一環として、画家と共同生活をする計画をたてたのです。
この計画に賛同した画家がゴーギャンでした。
ゴッホは、ゴーギャンと一緒に生活する部屋を飾るために「ひまわり」をたくさん描きます。
「ひまわり」で飾った部屋にゴーギャンはやってきます。
しかし、性格があまりにも違う2人の共同生活は短期間で終了します。
そのきっかけとなったことが「耳切り事件」なのです。
ゴッホは、精神的な病気の発作により、カミソリをもってゴーギャンに襲いかかります。
ゴッホは、ゴーギャンのにらみに押され引き下がりますが、カミソリで自分の耳を切りつけたのです。
しばらくの入院で治療は終わりましたが、ゴーギャンはゴッホのもとを去り、ゴッホの絵は荒々しいタッチに変わっていきます。
「耳切り事件」は、ゴッホの奇行というイメージがありますが、実はゴッホが夢や期待とのギャップに悩んだ結果であり、ゴッホが純粋過ぎたゆえにおきた悲しい事件なのです。
ゴッホが選んだモチーフの意味とは?
浮世絵への熱中
ゴッホは、人生でいくつかのモチーフを繰り返し描いています。
選ばれたモチーフと描かれたタイミングからゴッホの状況や気持ちに触れることができるのです。
ゴッホが33歳ごろに選んだモチーフは浮世絵です。
日本への憧れが強い時期に描かれた作品には、背景に浮世絵が描かれています。
36歳ごろになると、太陽が描かれるようになります。
それまでの作品には、背景に教会が描かれることが多かったのですが、モチーフとしての教会は消えて太陽が出現するようになります。
ゴッホの気持ちのなかで信仰に対するなにかが変わった瞬間なのかもしれません。
ひまわりとの出会い、そして明から暗へ
そして、ゴーギャンと出会ったころにはひまわりがモチーフになります。
西洋では、ひまわりは「愛」の象徴とされています。
ゴッホがゴーギャンに対して、そして自分の夢に対しての「愛」をひまわりにして表現しているのです。
「耳切り事件」をきっかけとして、ゴッホのモチーフは暗くなります。
ゴッホの状況が悪くなると出現する「地面を掘る人物」が再びモチーフになり、花言葉が「絶望」である糸杉も登場するのです。
「地面を掘る人物」は「アダムとイブの楽園追放」とつながっています。
ゴッホの精神的な状態が悪くなると「地面を掘る人物」は絵に登場します。
ゴッホは楽園を追放された気持ちになったときに無意識のうちに「地面を掘る人物」を描いていたのかもしれません。
おわりに
ゴッホの人生は、さまざまな人達に支えられていました。弟テオは最後までゴッホの味方でした。
絵のモデルにもなったタンギー爺さん(ジュリアン・タンギー)はゴッホに絵の具を売っていた人になります。
タンギー爺さんは、お金がない画家たちにも優しく接していたといわれています。
ゴッホもタンギー爺さんのことが好きだったからこそ、自分が好きな浮世絵を背景にして肖像画を描いてあげたのでしょう。
そして、弟テオの妻ヨハンナはゴッホとテオがこの世からいなくなってからもゴッホを支え続けました。
ゴッホから贈られた絵を大切に保管しており、ゴッホの名と作品を世の中に広めたのです。
ヨハンナの存在がなければ、ゴッホはこれほど有名な画家にはなれなかったでしょう。