若くしてこの世を去った画家たちは、短い人生の中で燃えるように絵を描き、人々の心に響く作品を残しました。
若いからこそ描けた作品、若さゆえの感性を感じてみてはいかがでしょうか。
代表作「炎舞」は重要文化財に指定|速水御舟
速水御舟は、東京都浅草に生まれ40歳でこの世を去りました。
速水御舟は、モチーフを写実的に描く日本画家です。
果物を描くときにはキズまでも描き、磁器は写真なのか絵なのかわからなくなるほど描きこんであります。
一般的な日本画は、サラリとした質感が特徴です。
しかし速水御舟の作品は、日本画的な要素がありながらも油絵のような濃さを感じます。
速水御舟が31歳のときに描いた「炎舞」は、まさに日本画と油絵の融合かと思うような作品です。
上に舞い上がる炎の上を蛾が飛び回っています。
炎の描き方は昔の絵巻物にある描き方ですが、炎と周囲の闇との境に輪郭は見当たりません。
火の粉は点で描かれていないにもかかわらず、火の粉の存在を感じます。
飛び回る蛾は火に飛び込んでいるのか吸い込まれているのかわかりませんが、不気味さの中に美しさを感じます。
「炎舞」を描き上げた速水御舟は背景の色について「もう一度描けといわれても二度とは出せない色」といっています。
背景の色は、黒でもなく茶色でもなく炎の色が闇に反射しているような色です。
「背景」でありながら、背景ではなく闇としてそこに存在しています。
速水御舟の画室には「モナ・リザ」が飾られていました。「モナ・リザ」も「炎舞」のように輪郭線がない描き方をしています。
速水御舟は「モナ・リザ」を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチと通ずるものがあるのではないでしょうか。
「炎舞」は見方によっては残酷でおそろしい絵かもしれません。
しかし、なぜか美しさを強く感じ「これが欲しい」と思わせる魅力があるのです。
短くても熱く生きた速水御舟の生きざまがそこに表現されているかのような強さを感じます。
魂をキャンバスにぶつけた画家|フィンセント・ファン・ゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホは、オランダに生まれ37歳でこの世を去りました。
代表作は「ひまわり」や「種まく人」でしょう。
ゴッホは、最初から画家を目指したのではなく、さまざまな仕事をします。
しかし、結局は画家を志し弟テオの助けをかりて絵を描き続けるのです。
始めのころは、暗い色の作品が多かったのですが、南フランスに行ってからは黄色が多く使われた明るい絵をたくさん描きます。
ゴッホの有名な作品は、最後の二年間に描かれたものがほとんどです。
ゴッホといえば「耳を切った人」というイメージが強いかもしれません。
しかし、ゴッホが遺したたくさんの手紙からは、物事に対して真正面から真剣に考える人柄が伝わってくるのです。
熱すぎるくらい熱く考え、かけひきなしに体当たりで相手にぶつかるからこそ短期間にあれほど情熱的で強い作品を描けたのではないでしょうか。
ゴッホは、37年という短い人生でした。
生きているうちに売れた絵は、たった一枚といわれています。
本当ならば、ゴッホがいなくなったら作品もそのまま日の目をみることがなくなっていたのかもしれません。
しかし、ゴッホにはテオがいて、テオにはすべてを理解してくれる妻がいました。
テオの妻ヨハンナは、ゴッホとテオがこの世を去ってからもゴッホの作品を守り、世に出すための準備をしました。
そして、ヨハンナはゴッホの作品を有名にしたのです。ゴッホの人生は37年間でしたが、ゴッホの作品は今もヨハンナの力によって生き続けています。
神話を現実的に描いた画家|青木繁
青木繁は福岡県に生まれ、28歳でこの世を去りました。
遺した作品の数は少ないですが、代表作「海の幸」は美術の教科書でみかけたこともあるのではないでしょうか。
「海の幸」は大きな魚を肩に担いで男たちが千葉の浜辺を歩いている絵です。
裸で黙々と歩いている様子は写実的に描かれてはいますが、非現実的な雰囲気も漂っています。
実は「海の幸」は、青木繁が実際に目で見た光景を描いた作品ではありません。
青木繁が学生時代に友人から聞いた話をもとにして描かれたのです。
青木繁は、神話にとても興味を持っていました。
青木繁の中にあった神話の知識と友人から聞いた話を青木繁の感性で一枚にまとめた作品が「海の幸」なのかもしれません。
「海の幸」は、重要文化財に指定されています。
「海の幸」は裸の男性が並んで大きな魚を担いでいます。
その中に一人だけこちらをみている女性がいることに気がつくでしょうか。
女性は、青木繁の恋人たねです。
「海の幸」が完成したときには、たねは描かれていませんでした。
後から書き加えられたのです。
恋人「たね」の部分が好きな人も多く、「たね」の部分だけトリミングして額装しているものもあります。
ただ「海の幸」のよさも「たね」のよさも大きな一枚の作品だからこそ引き立つものです。
青木繁は、プライドが高く自信家で画壇の寵児と言われていました。
長く生きていたら、さらに新しい風を吹き込んでいたのかもしれません。