太平記絵巻は、南北朝の動乱をテーマにした軍事物語であり、作者は海北友雪と推定されています。
太平記という全40巻もの長大な軍事物語全巻を12巻の絵巻に仕立てているものです。
見るたびに新しい発見のあるこの絵巻は、現存する唯一の作品であり、壮大かつ華麗そのものと言えますね。
その歴史に触れてみることで、戦乱のない世界へと、誰しもが思いを馳せるのではないでしょうか。
太平記の時代背景
鎌倉幕府によって擁立された後醍醐天皇は、次第に倒幕の意を強くしていきます。
かねてから北条氏への不満があった武士たちは共に戦うことを選び、鎌倉幕府は滅亡となりました。
建武の新政が行われたのもつかの間、その政治はほどなく破綻、ときは南北町時代を迎えて流れていきます。
足利尊氏が室町幕府を開き、後醍醐天皇は失意崩御に。
そしてその後もずっと混乱は収まらない状態が続きます。
幼くして3代将軍になった足利義光を補佐するために、細川頼之が管領に就任、太平の世の到来への期待が高まっていく・・・そんなイメージで物語は終わります。
太平記の広がり
私たちは、半世紀にわたって多くの人が登場してはいなくなっていくという、計略や裏切りが繰り返されてきた過去の時代を振り返ることができます。
その舞台は、京から始まり各地へ広がっていくことから、太平記は複雑、長大で読み解くのは至難の業、とされています。
物語が終わる時点では、まだ南北戦争の真っただ中で、タイトルの太平の世とはかけ離れたものでした。
平家物語は仏教的な色彩が濃厚で哀調ある語りが特徴ですが、太平記は乱世をリアルに伝え、多くの出来事に対し強く批評する姿勢がみられますね。
その後、太平記に注釈をつける、批評を施す、などの書籍は後を絶たず、人気を維持し続けていたようです。
太平記絵巻の特徴
太平記絵巻は、12巻1組、1巻の長さは実に15メートル、12巻合わせると全長180メートルにも及ぶ大作です。
太平記絵巻には、模本が一種類ありますが、その精度は様々なようです。
極彩色で紙背にも金銀の箔が施されているなど、非常に豪華で優美な作品です。
絵の中の余白部分には詞書が書き込まれていて、なんだか現代の絵本に似ていますよ。
全12巻であることが判明してから、まだ四半世紀。
歴史の流れの中で、分散したのではないでしょうか。
いまだに行方不明のものもあり、また原寸大のものや縮小されたものなど、模本を制作する目的や作業によっては費やせる時間や費用も異なり、その絵巻の精度も変わってくるようです。
合戦絵巻の武士の姿
合戦絵巻としての太平記絵巻ですが、鑑賞者がモデルを特定して楽しむような作品だったようです。
太平記絵巻模本 巻九(東京国立博物館蔵)は、とても薄い紙を利用していて、紙を繋いだままの状態です。
裏打ちもなく上下の裁断もなされていないのですが、このような模本は、原本を研究するうえで、貴重な情報源となるでしょう。
太平記絵巻 巻第一第一紙
埼玉県指定有形文化財となっているこの太平記絵巻 巻第一第一紙(埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵)は、太平記 巻一~三の内容であり、後醍醐天皇の即位から赤坂城の落城までを描いています。
後醍醐天皇の即位にあたり、その御座所に公家たちが集まっている様子が描かれています。
蒙古襲来絵詞
鎧や装束は、威の糸目の数まで正確さをもって描かれたものなのだとか。
鎌倉時代の風俗が表現されていますが、出陣した肥後国御家人である竹崎季長を中心とした戦の絵詞です。
蒙古襲来絵詞(宮内庁、東御苑内の三の丸尚蔵館蔵)は、とても有名なのに国宝になっていない理由は、皇室私有品(宮内庁の管轄)の扱いだからです。
そのため文化財保護法の国宝、重要文化財の対象外になっている、とのことです。
騎馬武者像
15世紀には重要文化財として有名な騎馬武者像(京都国立博物館蔵)のように個性的な面貌を持つ像が単独で描かれることもありました。
抜き身の太刀を右肩にのせ、折れた矢を背負った激しい戦後の武将の姿。
躍動感が印象的です。
太平記絵巻 巻第六第三紙
埼玉県指定有形文化財となっている太平記絵巻 巻第六第三紙(埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵)は、巻第六で、太平記 巻十六~十八の内容を収めています。
建武の親政において後醍醐天皇と対立した足利尊氏は、自らの政権を樹立するために天皇方と戦うも敗戦。
九州に落ちた足利尊氏は再起をかけて多々良浜で天皇方と戦い、破ることができます。しかし一方では新田義貞らの越前金崎落ちも。
第三紙は、右が京に攻め上る足利勢に追われた和田一党。
そこにあるのは、皆で自害する様子。
左は、足利尊氏を討つため出陣した楠木正成と実子の正行。
桜井の駅で敗戦覚悟の子に天皇への忠誠と再起を説くという涙を誘う場面が描かれています。
太平記絵巻 巻第十二第十四紙
太平記絵巻 第十二巻 第十四紙(国立歴史民俗博物館蔵)では、幼い足利義満が侍女に抱かれている姿が描かれています。
絵では義満が暗い灰色の衣を着ているようにみえますが、昨今のX線分析結果から、この衣の中にある銀が検出されたことから、現存する色味は銀が黒く変色したのだろう、と考えられています。
この巻末に鶴が二羽描かれているのは、救われる思いになりますね。
これからは平和な時代がやってくるという象徴としての鶴を表すことで、戦で心身共に荒れやすい中、皆が義満の誕生から束の間の安らぎを得ている絵詞と言っていいでしょう。
この時代の絵詞は研究課題とするところが数多くあります。
まとめ
太平記は、動乱期を描いた物語ですが、人物や舞台は次々と変わっていくために、読み進めるのはとても大変です。
また、太平記の話題をかなり忠実に描いた文化財でもあり、手を加えたり修理するのは、並大抵ではないことでしょう。
どんなに大切にしても経年による劣化を完全に防ぐことはできません。
文化財の維持は、100年先までも考慮する必要のある責任ある内容ですから、私たちもその功績にあやかり、心して眺めたいものですね。