美術の世界には、時代を超えて人々の心を捉える作品が数多く存在します。
今回は、異なる時代とスタイルを代表する3つの絵画を紹介します。
これらの作品は、それぞれが独自の感情と物語を紡ぎ出し、見る者に深い印象を残します。
芸術の力を通じて、人生の様々な側面を探求してみましょう。
最後にむくわれた!「花咲くアーモンドの木の枝」
名画といえばゴッホですが、この「花咲くアーモンドの木の枝」をみて「ゴッホの絵だ」とすぐにわかる人は少ないでしょう。
ゴッホといえば「ひまわり」や「種まく人」のような鮮やかな黄色を使った絵のイメージが強いです。
しかし「花咲くアーモンドの木の枝」には黄色は使われず淡い青色と白色が使われ、全体の印象も激しさよりも優しさが前面に出ています。
ゴッホの生涯は画家としても人間としても苦労が多く、むくわれることが少なかったと言えるでしょう。
生前に売れた絵は1枚とも言われ、経済的にも恵まれない人生でした。
人付き合いも器用な方ではなく、ゴッホの唯一の心の支えになっていたのは弟のテオでした。
テオはどんなときでもゴッホを励まし援助しました。
ゴッホの作品は晩年に近づけば近づくほど独特の渦が増えて、色も暗くなっています。
病院での療養生活が長くなり、心が滅入っていたのかもしれません。
「花咲くアーモンドの木の枝」はゴッホが亡くなる数か月前にテオの赤ちゃん誕生祝いに描いたものです。
ゴッホの晩年の絵のほぼすべては暗い作品にもかかわらず、この作品だけは希望と優しさに満ちています。
ゴッホにとってテオの赤ちゃん誕生は暗い人生に差し込んだ光のような出来事だったのでしょう。
テオは「花咲くアーモンドの木の枝」を喜んで受け取り長くリビングに飾ります。
ゴッホはなかなか気持ちを受けて入れてもらえない人生でしたが、テオはゴッホの気持ちを最後までしっかりと受け止めてくれたのです。
ゴッホが亡くなって数か月後にテオもこの世を去ります。
苦労が多かった人生、短い人生だったかもしれませんが「花咲くアーモンドの木の枝」に込めた思いはむくわれたのです。
農民への尊敬!「落穂拾い」
ミレーは農民をたくさん描きました。
「落穂拾い」は3人の女性が地面に落ちている落穂を拾っています。
一見、農民が作業をしている絵にみえるかもしれません。
しかし実は、この絵には貧しい農民の姿が描かれているのです。
落穂とは、収穫が終わった後に畑に残った残り物をいいます。
売り物にならない小さな穂の破片をひとつひとつ手で拾い集めているのです。
「落穂拾い」を描いた画家はミレー以外にもたくさんいます。
しかし、その多くの作品に描かれている人は若い女性が多く「どれにしようかしら」という声が聞こえそうな明るい雰囲気があります。
一方、ミレーの「落穂拾い」に描かれている女性は3人とも若くはありません。
しかも腰を曲げての作業がつらいのか腰に手をやりながら作業をしています。
そのため政府や批評家は「この作品は貧困に対する抗議だ」と厳しい意見をぶつけました。
ミレーの「落穂拾い」は時代背景を知り、見方によってはとても悲しい場面を描いた作品です。
しかし見方によっては「どんなに貧しくても生きるために行動を起こしているたくましい姿を描いた作品」ではないでしょうか。
落穂は畑に残っている穂です。
収穫の時にすべてきれいに拾われてしまっていたら落穂を拾うことはできません。
畑の持ち主が貧しい人のためにわざと落穂を残したとも考えられます。
「落穂拾い」は描かれた直後は「抗議するための絵」や「貧困の三女神」などひどく酷評されました。
しかしミレーは負けずに農民が強く生きる姿を描き続けます。
「落穂拾い」は、悲しい現実を描いた作品ではありますが、ミレーの農民を思う熱い思いが詰まった作品です。
いいときもあった!「死の床のカミーユ」
「死の床のカミーユ」は名前の通り、もう生きてはいない女性カミーユを描いた作品です。
カミーユはモネの妻です。
モネはカミーユの枕元に座りカミーユをみつめていたのです。
もう動かないカミーユをみつめながら、モネは自然と絵に描き始めたといいます。
モネはカミーユとの間にジャンを授かり、貧しいながらも幸せに暮らしていました。
しかしモネはアリスと不倫をします。
カミーユはジャンを産んでから体を悪くします。
体調が悪いときに不倫をされるなんて悲しかったでしょう。
カミーユの体調は悪くなる一方で次男出産後はさらに悪化してしまうのです。
自分どころか子どもの面倒もままならないカミーユにかわってモネの愛人アリスが家庭に入り込みます。
そしてカミーユは32歳という若さで亡くなります。
そして息を引き取った途端にモネによって描かれました。
モネはこのときの心境を「いろいろの色調を探していた。人生の日課となっている無意識的な作業に反射的に取りかかった」と言っています。
「悲しくて少しでも面影を残しておきたい」「最後に一枚だけ描きたかった」という理由ではなく「作業に取りかかった」という感情のない理由で描かれた現実は知れば知るほど悲しくなります。
「死の床のカミーユ」は悲しい作品です。
しかしカミーユはモネの代表作「日傘をさす女」のモデルにもなっています。
「日傘をさす女」は、カミーユと息子ジャンとモネとの穏やかな日常の一コマを描いた作品です。
「死の床のカミーユ」が描かれる4年ほど前に描かれました。
最期は悲しい作品のモデルになってしまいましたが、カミーユには「日傘をさす女」のような幸せな時もあったと考えれば、少しだけ救われる気もします。
まとめ
今回は、3つの名画を通じて、美術が持つ多様性と表現の豊かさを垣間見ました。
「花咲くアーモンドの木の枝」は自然の美しさと生命の喜びを、「落穂拾い」は農民の苦労と生活のリアリズムを、「死の床のカミーユ」は個人的な悲しみと愛の深さを描き出しています。
これらの作品は、芸術がいかに人間の感情と経験を捉え、共感を呼び起こすかを示していると思います。