ロートレックは、わずかな線だけでモデルやモチーフの特徴をみごとにとらえた画家です。
外見だけではなく、内面までも描き出した作品からはロートレックだけが持つ魅力があります。
この記事では、短い生涯の中で魅力ある作品を描いたロートレックについて徹底解説します。
ロートレックの生涯
アンリ=マリ=レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレックは、1864年にフランスで生まれました。
ロートレックは、裕福な家庭で可愛がられながら育ちましたが、遺伝性の病によって両足が委縮する障害を持ちます。
成績が優秀なロートレックでしたが、健康状態を理由に中学を退学します。
そして、それまでもよく描いていた絵により力を入れます。
父親は、ロートレックを自分の後継者かつ狩り相棒として期待していましたが、両足に障害を負うと、父親の心はロートレックから離れていきます。
しかし、ロートレックはプランストーという師匠かつかけがえのない友人と出会うのです。
その後、ロートレックはボナやコルモンのアトリエで腕を磨きます。
27歳のときに描いた「ムーラン・ルージュ」のポスターがきっかけとなり、ロートレックの生活は一変します。
ロートレックは、それまでに描いていた馬や庶民ではなく、パリの夜の享楽的な世界を描き始めるのです。
ロートレックの人気はうなぎのぼりで、とくにポスター作品は注目されました。
30歳になると娼婦をモデルとして多くの作品を描きます。
ロートレックは、娼婦と信頼関係を築き、娼婦の日常生活を切り取った作品を描きました。
しかし34歳になるとアルコール量が増え制作活動が鈍化します。
ついには精神状態も悪化し、母に看取られて37歳でこの世を去ります。
ロートレックに影響を与えた画家たち
ロートレックが生きた時代には、歴史上に名を残した多くの偉人が生きていました。
ロートレックに影響を与えた画家は、ゴッホとドガでしょう。
とくにゴッホとは、ロートレックが腕をあげるために通ったコルモンのアトリエで出会い友情が生まれました。
生まれも育ちもゴッホとロートレックはかけ離れていましたが「日本の美術が好き」という共通点から、一緒にグループ展も開催しました。
ロートレックは、ゴッホの肖像画を描いています。
パステルで描かれたゴッホは、光を浴びながらカフェに座っています。
明るい色調でやさしく描かれたゴッホは、有名なゴッホ自身の自画像とは全く違った一面をみせています。
ゴッホの弟テオは、ロートレックの作品を数点購入しています。
ロートレックが描いたゴッホの肖像画も現在はゴッホ美術館に所蔵されています。
ゴッホは、ロートレックの勧めで南フランスに移ります。
しかし、約2年後にはゴッホはこの世を去るのです。
2人が接した月日はわずか2年間でしたが大きく影響を与え合った2年間だったのではないでしょうか。
ドガは、ロートレックよりも30歳年上でした。
ロートレックは、ドガを友人というよりも憧れの人として尊敬し、モンマルトルで暮らしていたときにはドガと同じ建物で暮らしていました。
ロートレックは、ドガの作品に似た構図で描いていますが、ロートレックはドガよりもモデルの「生活感」に注目している特徴があります。
ロートレックの時代のキーワード「ベル・エポック」と「モンマルトル」
ベル・エポックとは、時代を表す言葉です。
フランスの19世紀終わりごろから第一次世界大戦が始まるまでの間の時代をいいます。
フランス語でベルは美しいを意味し、エポックは時代という意味です。
高級レストランのマキシムや高級仕立服を意味するオートクチュール、巨大娯楽施設のムーラン・ルージュは、ベル・エポックを象徴するものです。
映画「ミッドナイトインパリ」では、登場人物の一人アドリアナが強く憧れていた時代です。
モンマルトルとは、フランスにある地区をいいます。
もともとは貧しい農村地区でしたが、1853年のパリ大改造計画によって歓楽街に変わります。
ロートレックに深い関係をもつムーラン・ルージュやコルモンのアトリエもモンマルトルにあります。
モンマルトルの丘は映画「アメリ」でも有名になりました。
ルノワールやピカソが暮らしたテルトル広場(モンマルトルの丘にある広場)では、現在も多くの画家が観光客を相手に絵を販売しています。
ロートレックの特徴がわかる作品
彼女たち
ロートレックは「彼女たち」というリトグラフ集を限定100部で制作しています。
彼女たちの彼女とは、娼婦のことです。ロートレックは、喜多川歌麿が遊女たちを描いたことに影響を受けて娼婦たちを描いたともいわれています。
「彼女たち」に描かれた娼婦は、娼婦として働いている姿ではなく、化粧中や仕事終わりの様子など彼女たちの素顔が描かれています。
ムーラン・ルージュのポスター
ロートレックといえばポスター作家というイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。
ロートレックの名を一夜にして有名にしたポスターが「ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ」です。
必要最低限の線だけで看板ダンサーであるラ・グーリュを描いています。
観客を黒いシルエットで描き、照明は黄色で塗りつぶすという大胆かつ動きのある構図はロートレックの代表作となりました。
おわりに
ロートレックは37年間という短すぎる生涯の中で多くの作品を描きました。
そのほとんどに人物が描かれています。描かれた作品からは内面や人間性を感じます。
ロートレックは「人間は醜い。けれど人生は美しい」と言っています。
短い人生ではあったけれど、多くの「人間の生」に触れた人生だったのではないでしょうか。