昨今の伝統行事の中でも、雛人形を飾ることは幸せを呼び込みそうなひとつの催しとして日本人の心に住みついています。
また、雛祭りは桃の節句とも呼ばれ、子どもの頃を懐かしく思い出される方も多いことでしょう。
この記事では、そんな雛人形、雛祭りについてくわしく紐解いていきたいと思います。
雛人形とは?お雛様の由来、言い伝え
古来より日本で親しまれてきた歴史ある雛人形の起源は、諸説では平安や奈良時代にまで遡るとされています。
可愛らしいその姿で親しまれてきた雛人形は、かつて五穀豊穣・無病息災・子孫繁栄などを願い、唐の時代(618~917年)にやってきました。
中国の風習と日本古来の人形(ひとがた)を用いたお祓いが結びついたものです。
日本人は、古来より土偶や埴輪といった形で人形に心をこめてきました。
それが平安時代になると人形(ひとがた)や形代(かたしろ)を使って邪気を祓うように変化していきます。
この風習は「流し雛」として源氏物語にも出てくるほど歴史が古いものなのです。
厄を自分の身代わりにさせ、それを川や海に流すことで厄を落とすという風習は凶事や事故、病気といった災厄から自身を守り、健康や幸せを願う習慣として、年始や節分などの年中行事に今でも残っています。
日本での雛人形は、人形で身体を撫でて穢れを払う、という女の子の形代として使われていたものが起源であると言われています。
日本の五節句の意味
日本には、五節句といわれるものがあります。人日(じんじつ)(1月7日)、上巳(じょうし)(3月3日)、端午(たんご)(5月5日)、七夕(しちせき)(7月7日)、重陽(ちょうよう)(9月9日)です。
これらの五節句は、江戸幕府が制定したと考えられています。
その中の上巳においては、水辺で心身を清め、病気を祓う風習からきているのですね。
節句の「節」は、1本の竹の櫛にたとえられています。人の人生や1年の晴れの日を節目と呼ぶのはそのためです。
「節」には、晴れの食物を用意して神や仏を迎えて供え、直会としてお供えをいただいていました。
ですから、「節供」とは、節目の日に神仏に食物を供えることもさし、近世以降では「句」の文字が区切りや切れ目を意味することから、「節句」と書くようになっています。
現在の雛祭りでは、雛人形を飾って女の子の幸せと健やかな成長を願う行事となっています。
上巳の節句は、別名「桃の節句」ともいわれますが、人日は七草、端午は菖蒲、七夕は竹と梶の葉、重陽は菊というように季節の草花と関わりがあります。
これは、四季のある日本ならではの節目のお供えといえるようです。
雛祭りの時代ごとの変化
宮中では、供え物の天児(あまがつ)(幼児の枕元に飾られる厄除け・魔除けの人形)や、這子(ほうこ)(はっている赤ん坊の姿に作った縫いぐるみの人形)を川に流していたのが、次第に公家の遊びの「ひいな遊び」と結びついて、雛祭りがなされるようになりました。
室町時代には将軍家より盃と蓬餅をいただくようになりましたが、その頃はまだ現代のように雛人形を飾っていませんでした。
江戸時代になって3月3日を五節句のひとつと定め、将軍に献上物をし、ご内儀では雛を飾るようになったのです。
栄螺や蛤、白酒、蓬餅などを供えたり、いただくようになったのも同時期のことです。
初めは毛氈の上に立ち雛や紙雛を置いていたのですが、江戸時代中期になると座雛が登場し、当時は男雛、女雛、内裏雛だけだったのが、時代と共に変化していきます。
宮中を模した雛壇が作られたのは元禄時代頃とされています。
内裏雛の他に左近桜、右近橘、随身、女家、伶人、仕丁、稚児などが加わるようになっていったようです。
嫁入り道具の雛形として作られた雛道具は、公家、大名から上流階級へと移っていき、そこには、幸せな縁組でありますように、という願いが込められていました。
近代以降は、庶民の娘たちの無事を祈る祭りとして、広く行われるようになっています。
男雛、女雛の並べ方
一番上段の男雛、女雛の「並び」についてですが、どちらが右でどちらが左かと迷うかもしれません。ですが、結論から言うと、どちらもあります。
陽は東「左手」から登り、西「右手」へ沈むことから、日本では古くから左が上位という考え方があります。
左大臣と右大臣の場合は左大臣の方が格上ということになります。
現在でも、京都を中心に関西ではこの位置が一般的になっているようです。
しかしながら、昭和における即位の礼(御大典)の後、両陛下の高御座と同じように男雛を向かって左側に飾るようになっていきます。
現在、関東以北ではこのように飾られているのですが、京文化の影響を受けているところは依然として昔風の飾り方になっています。
つまり、内裏雛の置き方は、地域により、様々なのです。
置き方が逆になることの要因は、「帝」と「妃」の位置関係が影響していましたが、それも昔と今では変化してきています。
一般的に、関西は向かって右側が男性、関東では左側で逆になっています。
東海地方は両方の文化が混じり合っていることからどちらもありますが、だんだん関東式が増えているような気もします。
雛人形には時代の変化や地域性によっても違いがあり、特別な決まりもありません。
雛壇の飾り方
雛壇は、そもそも平安貴族の婚礼の様子を現していると言われています。
また、昔の婚礼はなんと夜に行われそうで、そのために雛段飾りには雪洞(ぼんぼり)の灯りを灯しているのですね。
しかしながら、天皇陛下を「男雛」、皇后陛下を「女雛」とする考え方も実在します。
<一段目>
男雛と女雛が上からすべてを見渡せるようなイメージで置かれます。
男雛と女雛の左右には御伽犬(犬箱)を置き、両脇には雪洞(ぼんぼり)、内裏雛の中央前の三宝に徳利をお供えします。
<二段目>
二段目の三人官女は、向かって右の官女が長柄銚子(ながえのちょうし)、中央は座って盃を持ち、向かって左が加銚子(くわえのちょうし)を持ちます。
<三段目>
五人囃子を並べます。能の囃子と同様に向かって右より扇を持って謡うもの、笛、中央が小鼓、次に大鼓、そして太鼓です。
<四段目>
四段目の随身の一対は、左大臣の方が格上なので老人の姿をしており、右大臣は若者の姿です。
<五段目>
「三人上戸」と呼ばれることも。なぜなら、三人の仕丁は、「泣き、笑い、怒り」という三つの表情で人形が作られているからです。
結婚してもまた、人生においてもそれは誰もが経験する、と表現しているかのようです。
<六段目>
六段目に置かれるものは、箪笥、長持、鏡台、挟箱、針箱、火鉢、衣裳袋、茶の湯道具などです。
なぜこのようなものが並ぶかというと、これらは上級武家の婚礼道具に重ねた意味で作られている雛道具にあたるからです。
<七段目>
七段目は、重箱が中央、御駕篭と御所車を左右に置き、向かって左に御駕篭、右には御所車が置かれるなど、婚礼時の様子がこの雛壇の飾り方を見ると、目に浮かぶのではないでしょうか。
おわりに
この記事では、雛祭りや雛人形の由来、言い伝えについてくわしく解説いたしました。
雛道具や他の人形などには約束事はないようで、飾れる家ごとに工夫して並べているようです。
つまり、嫁入り道具として持参する大切なものを順に並べていく形なのですが、現在では男雛と女雛のみなど、だんだん簡素化されてきているようです。
のどかに春風吹く季節に雛人形を開けて並べる事は、古くから伝承されてきたよいものを次世代に残し、継承していく意味でも大切な行事と言えますね。