いわさきちひろの名前を聞いたことがなくても、その作品をどこかで目にしたことがある人は多いでしょう。
水彩絵の具やクレパスで描かれたその独特の世界は、見ているだけで飽きることなく、不思議な魅力に溢れています。
彼女は花と子どもを深く愛し、生涯を通じてそれらを主要なモチーフとして捉えていました。
その作品の深層には、平和への願いと、未来を築く子どもたちへの暖かな思いが宿っています。
55歳という若さで亡くなるまでに、彼女は数多くの絵を描き続けました。
この記事では、いわさきちひろの魅力を紹介しつつ、世界初の絵本専門の美術館、「ちひろ美術館」について探求していきます。
ちひろ美術館の歴史・成り立ち
ちひろ美術館は、1977年に設立されました。
画家が長年にわたり暮らした下石神井の自宅がそのままミュージアムとなっています。
ここでは、いわさきちひろの生涯に焦点を当てて詳しく見ていきましょう。
活発な少女時代
ちひろは1918年に福井県で生まれ、三姉妹の長女として育ちました。
当時としては珍しい共働き家庭で、父は陸軍の建築技師、母は女学校の教師でした。
子どもの頃から絵が得意でありながら、同時にスポーツも好きという活発な一面を持っていました。
14歳の時には、洋画家の岡田三郎助に師事しました。
ちひろが花を愛するきっかけは、母からの影響が大きいようです。
幼少期から自宅には季節の花々が飾られ、それが身近な存在となりました。
こうした環境が後の作品作りの礎を築いたのでしょう。
後に、ちひろ美術館となる下石神井の自宅の庭にも、多彩な花が栽培されていました。
戦争によって奪われた青春時代
1939年、ちひろは20歳で見合い結婚をしました。
しかし両親は彼女が画家として生計を立てることを許しませんでした。
夫の仕事のため、彼女は中国の大連に同行しました。
結婚生活は幸せではなく、夫の自殺がその事実を物語っています。
ちひろは一人で日本に帰国しました。
しかし、その後「女子義勇隊」のメンバーとして再び中国へ渡ります。
彼女は書道の教師をしていましたが、戦況の悪化により教える余裕はありませんでした。
ついに彼女はつてを頼って帰国し、母の実家がある長野県の松本市に疎開しました。
そこで彼女は終戦を迎えました。
絵本作家・いわさきちひろの誕生
終戦後、ちひろは共産党員となり上京しました。
党の宣伝部の芸術学校で新聞記者として活動し、新聞の挿絵を描きました。
彼女の人生が大きく変わる転機は1947年、28歳の時でした。
紙芝居を描く機会があり、それがきっかけとなって本格的な画家としての道を歩む決意をしました。
その後、1951年に共産党の活動を通じて知り合った松本善明と結婚します。
松本は彼女より7歳年下で、彼は弁護士を目指して司法試験の勉強に励んでいました。
そのため一家の収入はなく、ちひろが絵を描くことで生計を立てていました。
生活は苦しく、経済的な事情から長男を母の実家に預けざるを得ませんでした。
ちひろは息子に会うため、頻繁に長野へ通っていました。
1952年、ようやく家族で生活できる余裕ができ、下石神井の地に家を購入しました。
彼女はそこで生涯の22年間を過ごし、その家は現在の美術館となっています。
1977年の開館以来、世界初の絵本の美術館「ちひろ美術館」として、多くのファンを引きつけ続けています。
ちひろ美術館の特徴
花と子どもを愛したちひろの思いが至る所に感じられます。
ここでは、ちひろ美術館の3つの特徴を紹介します。
親子で楽しむことができるファーストミュージアム
建物全体が子供に優しい設計になっているため、小さな子どもと一緒でも楽しむことができます。
例えば、全ての作品が床から135㎝の高さに展示されているため、「子ども目線」を意識した作りになっています。
また、「子どもの部屋」が設けられており、授乳室は完備されています。
また、トイレにはベビーチェアやベビーシートが設置されており、女性だけでなく男性トイレにも配慮がされています。
乳幼児でも使いやすい設計になっています。
ちひろの庭
ここは、ちひろが生前に愛した場所です。
庭仕事が大好きだった彼女は、一年を通じて花を絶やさなかったため、この庭で咲いた花が作品にも登場します。
展示室とアトリエに囲まれたこの空間は、きっと彼女が庭を眺めながら絵筆を走らせていた場所でしょう。
ガラスの通路から庭へ出て、自由に散策することができます。
復元されたちひろのアトリエもぜひご覧ください。
ちひろの作品
ちひろは水彩絵の具やクレパスを駆使し、彼女ならではの感性を絵に投影しました。
その作品は美術館のホームページでも鑑賞できます。
特に以下の4点の作品が注目されています。
こげ茶色の帽子の少女
黒柳徹子氏のエッセイ『窓際のトットちゃん』の表紙を飾ったイラスト。
この本の影響でちひろを知った人もいるかもしれません。
赤い毛糸帽の女の子
雪を背景に、赤い毛糸の帽子をかぶった女の子が描かれています。
帽子とお揃いの手袋が魅力的な一枚です。
緑の風の中の少女
夏の気配を感じる緑の背景に、白い帽子をかぶった女の子が描かれています。
爽やかな空気が感じられる作品です。
バラと少女
ちひろが得意としたモチーフ、すなわち花と子どもを組み合わせた作品。
これ以外にもさまざまなパターンで描かれています。
併設ミュージアムショップ・カフェ
美術館内にはお楽しみスポットもあります。
実際に訪れる予定のある人は、ぜひ参考にしてください。
ショップ
窓越しにけやきの木立が見えるミュージアムショップは、来館者専用です。
オンラインでも商品の購入が可能なので、ホームページをご確認ください。
オススメの商品
ちひろカレンダー
ポストカードタイプと大判タイプの2種類。それぞれに違う絵柄が印刷されています。
お土産にもプレゼントにも喜ばれます。
絵本
ちひろの作品だけでなく、コレクション作家のものも販売しています。
『もしもしおでんわ』、『ゆきのひのたんじょうび』、『おふろでちゃぷちゃぷ』など。
りんごの天使
ちひろが愛した老舗「開運堂」特製のお菓子を、美術館オリジナルバージョンにしました。
長野の松本市ゆかりの一品です。
絵本カフェ
来館者のみが利用できます。
人気メニューは、ちひろの好物であったイチゴのババロアやホットケーキ。
庭を眺めながら一息つくことができるテラス席もあります。
食事よりもお茶を楽しむ空間で、体に優しい、季節の野菜や果物を使ったメニューが多いです。
男性にとっては少し物足りないかもしれません。
まとめ
今回は「ちひろ美術館 東京」について紹介しました。
平和を切望していたちひろは、ベトナム戦争に心を痛め『戦火の中の子どもたち』を出版しました。
これまでにない絵本を作りたいという彼女の願いは、亡くなる直前まで衰えることのなかった創作意欲により表現され続けました。
その軌跡が、ちひろ美術館に集約されています。
※休業日や営業時間、その他の掲載情報については変更の可能性があります。日々状況が変化しておりますので、最新の情報については施設・店舗へお問い合わせください。
アクセス
美術館名 | ちひろ美術館・東京 |
住所 | 東京都練馬区下石神井4丁目7-2 |
電話番号 | 03-3995-0612 |
ホームページ | https://chihiro.jp/tokyo/ |