この記事では、絵を「見ること」の魅力について詳しくご紹介していきます。
私たちは、「絵」についてあまり深く考えずに眺め、「きれいな絵だね」くらいでその場を去っていることが多いでしょう。
なぜなら、絵の中の描かれているリンゴは食べられないし、描かれている美女に触れることもできないので、「絵」はあくまでも「絵」に過ぎないと感じているからです。
絵を見るって何?見て何の役に立つの?
「絵」とはいったい何なのでしょうか?
「まるで絵に描いたよう」と表現されるような、とても美しい景色や情景の世界、ありえない現実離れした世界、そして空想したり想像の世界を表現する仮想現実の世界など・・・描き手にとってそこに存在してほしい「そのもの」を描くのが「絵」の役割なのかもしれません。
そして、見る側は、その絵から何らかの影響を受けていることが多くあります。
静物画や人物画があまりに似ていると、人は「うわ!写真みたい」「本物そっくり!」と言います。
ですが、そういった感想を得るためだけに描かれているのならば、それは画家の仕事ではなく写真を撮るカメラマンに任せればいいはずですよね。
だとすれば、「絵」の役目は見る人の現実以上の現実や、画家の眼だけに捉えられた現実を描く、ということなのでしょう。
「絵」を読むこと
「絵」を読む、という言葉があります。
「見る」「感じる」「読む」、この作業から、私たちは絵を描いた画家の気持や、その背後の事情などを想像したり推測することができます。
その絵を見ることで、どのように理解してほしいのか。
その絵は、画家本人がどんな動機から描いたものなのか。
それらを私たちがどのように読み取るのか、それが「絵」を読む作業なのかもしれません。
画家の愛情や体験を通し、その表現を自分のものに変えていくからこそ、同じ絵なのにもかかわらず、違う絵として見えることもあります。
画家それぞれの持つ思想性は、違う表現や与える印象に影響を与えます。
つまり、「絵」を読むということは、その絵が持っている「思想性」そのもの。
そこを捉えなければ、絵を読むことはできないはずです。
そして、それが絵に向き合うときの面白さなのでしょう。
絵を見て「感じない」人たち
絵を見て「何も感じない」し、そもそも「わからない」、という人も多いことでしょう。
しかしながら、おいしいものを食べると「おいしい」、絶景を前にして「きれい」と感じる人がほとんどではないでしょうか。
「絵」だから「感じない」「わからない」のように、感受性が働かないということはないはずです。
多分、その人は「感じている」ことに気がついていないだけかもしれません。
悲しみがテーマの映画で涙を流す人もいれば、「ふうん」で終わる人もいます。
それは感受性には個人差があり、それを自分のことのように感じられない、しょせん映画の中のこと、とする本音があるからなのでしょう。
例えば多くの人が絶賛するような絵を見て、あなたが全く心を動かされなかったとしても、別に悲観することはありません。
なぜなら、その絵があなたにとって「素晴らしい」かどうかは別のはなしで、自分にとっての“お気に入り”を見つければいいからです。
ピカソを天才として褒め讃える人がいても、どこがいいのかわからないと感じる人がいてもいいわけです。
絵に関わるエピソード
現在美術業界でエピソードとして知られる、とても有名な話しがあります。
そしてそれは、今から数十年前の出来事です。
ある女性は、19歳の頃、かつての赤線で働いていました。
女性は、故郷にいる病身で過ごす母親のための生活費と妹の夜学費用を稼ぐために東京下町にある赤線地帯で働いていました。
しかし、その春に施行された「売春防止法」によってその赤線から追い出されてしまうことに。
そのため母や妹の待つ田舎へ帰ろうとしたものの、心も体も心底疲れ果て、ボロボロ状態になっていたので、戻る気力も失い自殺しようとしたというのです。
彼女は自殺場所を決めて、あるデパートの地下の交通公社で切符を購入しようと立ち寄りました。
その時、そのデパートの7階では「村上華岳展」が開催されていました。
村上華岳は「近代日本画の父」と呼ばれる有名な日本画家でしたが、そのポスターが目に入り彼女はその会場に足を運ばざるを得ませんでした。
その理由は、そのポスターに描かれている「裸婦」が、あまりにも自分の母親に似ていたからです。
彼女はその展覧会で飾られている「裸婦」の作品の前でなんとも心の安らぎをおぼえて2時間もそこに佇んでいたというのです。
なぜなら、その絵の奥から懐かしい母の声がして、自分に向けた「死んではいけないよ。生きて帰っておいで」という声が聞こえてきたからです。
そこで彼女は悟ったというのです。その絵で、彼女は自殺するのを止めることができたのです。
その展覧会を後にして、その後、その主催するデパートの担当者宛にお礼の手紙を出しました。
4枚の便せんでひらがなばかりの稚拙な文字でびっしりと記入された文章を読んだ担当者は涙したそうです。
これは、美術業界で働く人たちの間ではバイブルのようになっている本当の話しです。
絵を見るヒント、絵の魅力
描かれた絵の中には、死にそうな状態で描かれた絵や、戦時中に描かれた絵もありますね。
しかしながら、そこには悲壮感がなく穏やかさが漂っていたりして、実に驚かされることがあります。
明らかに明るい色彩と優しい線やイメージからは、その背景にある恨みや憤りが感じられなかったりするのです。
そこから読み取れることは、画家たちが「絵を描くこと」を愛し、自由な気持で向き合っていたことがわかります。
つまり、絵はどんな状況下でも描けるものであり、自分の心の中に「平和」や「愛」を抱くことができるということなのでしょう。
おわりに
絵は、奥深くて、ちょっとやそっとで語りつくせないものがありますね。
だからこそ、私たちは、捉えどころのない世界観を前にして立ちすくんでしまいます。
「絵」は、それぞれ一人ひとりの生活の中で体感しながら味わい、心の栄養となっています。
そしてそこには心の自由や余白を求める私たちに“癒し”を与えてくれているのがわかりますね。