西洋絵画の内面表現時期ともいえる19世紀は、画家たちにとってまさに激動の時代です。
新古典主義から写実主義まで市民革命が絵画そのものを大衆に解放していくようになると、美術アカデミーが新たな権威として台頭してきます。
自分たちの内面表現方法の模索をしていきながら、苦悩を重ねる19世紀前半の画家たちの背景はいったいどんなものだったのか、一緒に見ていきましょう!
新古典主義|西洋絵画
1789年、ロココの享楽に溺れすぎたヴェルサイユ宮廷文化はフランス革命を招くことになり、その後は自滅していきます。
装飾過剰で退廃的なロココは、大衆から飽きられてきました。
実は革命直前には、古代の理想の姿に立ち返ろうとする動きが登場していて、それが新古典主義運動だったのです。
ダヴィッド・『ホラティウス兄弟の誓い』
新古典主義運動の先鋒とも言われたのがダヴィットです。
ダヴィッドの『ホラティウス兄弟の誓い』は、ルイ16世から依頼を受けてローマ初期の歴史物語を描いたものです。
左側には、3人の若い兵士が父親に祖国のために戦う誓いを立てている状態を現した姿で並んでいます。
体中の筋肉は、その意志の強さをわかりやすく表現しています!
家庭や家族のために命を捨てる覚悟をした兄弟たちの様子が読み取れますが、その後の戦いの結果、この兄弟は都市間の領土紛争を解決しました。
彼は、すでにフランス革命時に『テニスコートの誓い』『マラーの死』を描き、革命後に至っては『皇帝ナポレオンの載冠』などの業績を残していますね。
19世紀初頭には、ボンベイ遺跡の発掘などもあり、人々の古代への人気は加熱していきました。
そして、新古典主義はかつての宮廷に替わって美術界の権威であるアカデミーの保守本流へと移行していったようです。
アングル・『グランド・オダリスク』
当初、アングルの『グランド・オダリスク』は評価が芳しくなかったようです。
きれいだけれど、どこか冷たくて嘘っぽい新古典主義の理想美の形が当初、受け入れられなかったのかもしれません。
しかしながら、ロマン主義画家のドラクロワなどが登場してくると、急にアングルの作風は評価され始めます。
この時代背景にあったのは、ナポレオンのエジプト遠征です。
それは、オリエントブームを巻き起こすことになりますが、彼はその意志を次いで頑なに貫徹していきます。
しかし長く新古典主義の守護神となっていた巨匠ですが、その保守性が若い画家たちから反発を呼ぶことになり、それが新たな芸術運動の引き金になっていったようです。
ロマン主義|西洋絵画
反・新古典主義運動が沸き起こり、その筆頭にはロマン主義がありました。
その先駆者といえるジェリコーは、ダヴィットと同様に実際の時代の事件を題材として、市民側の視線に立ち熱く筆を執っています。
理想化された美ではなく、現実的にある苦悩をあくまでも市民側の立場、目線から熱く描いています。
ジェリコー『メデュース号の筏』
彼は、乗馬が好きで、数多くの馬の絵を残しています。
32歳の若さで夭折してしまったのも、2回の落馬が原因とされています。
「メデュース号の筏」とは、1816年フランスがアフリカ西海岸のセネガルを植民地化しようとした際に400名もの人員をフリゲート艦メデュースに乗船させ送ったものの、自力で航行できない状態になり、12日の漂流を経て生き残ったのは僅か15名となってしまった事故をもとにして描いた作品です。
彼は、生存者に詳細を聞きまくってこの作品を描きました。
しかしながら、このリアルな争いや屍体が転がる様子に、不快感をあらわにする人もいました。
なぜならこの事故は、当時の国家にとっての政治的隠蔽事案だったとも言われているからです。
ドラクロア・『民衆を導く自由の女神』
『民衆を導く自由の女神』は、高揚感を与えるピラミッド型で描かれ、奥行き感を短縮法で協調しています。
1830年に起きたフランスの7月革命(フランス国王シャルル10世を打倒)が題材です。
現実味を帯びた女神が左手に持つ銃、そして左のシルクハットの男性はドラクロア自身ともされるこの作品は、センセーショナルを巻き起こしました。
また、この女性は実在の人物ではなく、フランス共和国を擬人化したマリアンヌと言われています。
ジェリコーの作品に感銘を受けた彼は、「キオス島の虐殺」を描き、同時代の事件を熱い心でリアルに描きました。
写実主義|西洋絵画
庶民の立場から、冷静な目線で現実を描いたのが写実主義ですね。
シワやタルミも容赦なく描き、ドキュメンタリーともいえる画風を創設しています。
クールベ・『画家のアトリエ』
実際に存在した人物を描いたものの、この絵のアトリエは架空のものとなっています。
また、この絵には、『わが芸術的生活の7年にわたる一時期を定義する現実的寓意画』という別のタイトルが存在します。
19世紀半ばのパリ博で「レアリズム宣言」として、のちに有名になる古典を開いたクールベは、冷静に現実を直視したことから、改革派と言えるでしょう。
醜いモノや卑猥なモノにも目をそらさずに庶民の日常生活を描きましたが、社会主義に共鳴し、労働者によるパリ・コミューンに参加したことで投獄されることになります。
他にも『オルナンの埋葬』『世界の起源』などが有名です。
ミレー・『晩鐘』
近代化に反発、都会を離れて農民の暮らしを描いたのがミレーです。
『晩鐘』は、夕暮れ時の淡い光の中で立つ2人は協会の鐘の音を聞きながら、今日も元気に働けたことに感謝し、死者への祈りも捧げています。
「バルビゾン派」の代表的存在ですが、パリから来た芸術家の彼は、「百姓としていき百姓として死す」と自らを語り、田舎暮らしそのものを描き続けました。
『晩鐘』は、巷で絶賛されることになり、フランス政府とアメリカ芸術家協会が争奪戦を展開したほどです。
夕暮れの風景の中に溶け込んだ人物、大地に根ざして生きる農民への賛美が読み取れます。
彼の著名作品は『落ち穂拾い』『羊飼いの少女』他多数あります。
まとめ|西洋絵画
19世紀、新古典主義から写実主義までは、どの時代もそうであるとはいえ、西洋絵画を描く画家たちには多難な時代だったようです。
また、ナポレオンの失脚によって、彼に仕えていた画家たちは全財産を没収や国外追放など、多くの困難に直面することになります。