イギリスの画家として有名なジョン・エヴァレット・ミレーを知っていますか。
ときにはミレーではなくミレイと表記されることもありますが同一人物です。
日本でもとても馴染み深い画家の一人になり、かの有名な夏目漱石の“草枕”のなかに、彼の作品が登場するなど、意外と身近な存在とも言えます。
また、自分の肖像画をありのまま描いたのもジョン・エヴァレット・ミレーという人物が、いかに実直なのかがわかります。
ジョン・エヴァレット・ミレーについてご紹介していきたいと思います。
ジョン・エヴァレット・ミレーとは
1829年に馬具の製造販売を手掛ける業者の息子として生まれました。
イングランド出身で、幼い頃から優れた才能を持っていたと言われています。
画材に強い興味を示し、両親も認めるほどの才能を持ち合わせていたのだとか。
そのため、11歳になったときに、ロンドンにある「ロイヤル・アカデミー付属美術学校」に最年少で入学を許可された経歴も残っています。
入学後は、16歳のときに年次展で入場しロイヤル・アカデミーでも名を馳せるようになります。
1848年には「ラファエル前派」を結成し、“芸術は自然に忠実でなければならない”と主張し、作品を制作するうえでのポリシーのようなものにしました。
今までにない革新的な技法を用いて作られた作品は、当時賛否両論でたくさんの批判の声もありました。
なかでも1857年に描いた「浅瀬を渡るイザンブラス卿」を世の中に発表した際に、馬が騎士に比べて大きすぎたことから大きな不評を買うまでになります。
新聞にも中傷され批判のもとになってしまったこと、親交していたラスキンからも手放され、ラファエル前派の考えを遠のいていくことになります。
当時ジョン・エヴァレット・ミレーには8人の子供がいたこともあり、父親としての責任も感じていたようです。
ジョン・エヴァレット・ミレーの妻となったユーフィミア(エフィー)は、もともとラスキンの妻であり、支援していた画家のジョン・エヴァレット・ミレーと恋に落ち離婚してしまいます。
その後ミレーと再婚するのですが、当時はそんなことが許されるはずもなく、一大スキャンダルとして世間を騒がせるまでになります。
1860年にロマンチックな主題をテーマに描いた作品が高く評価され、画家としての名声を取り戻していきます。
なかでも少女画については高く評価され代表作としても知られています。
肖像画家としても成功し著名人からも依頼を受けるまでになります。
王室からも偉業をたたえ、世襲貴族として認められます。たくさんの画家がいますが、貴族の称号を手にしたのは、ジョン・エヴァレット・ミレーだけです。
1896年にはロイヤル・アカデミーの会長に選出されるも亡くなりました。
ジョン・エヴァレット・ミレーの作品の特徴
ジョン・エヴァレット・ミレーの作品には彼らしい特徴がたくさんあります。
肖像画はありのままの姿を描いた
一般的に、自身の肖像画を描くとしたら多少美しく描くなど、髪を多くして肌艶を良くするなど美化することが多いと思います。
その点、ジョン・エヴァレット・ミレーは、本人を過剰に美化することはありませんでした。
ありのままの姿を描くのも彼のポリシーのようなもので、それが逆に評判を呼び、多くの人から依頼されるまでになりました。
大人の肖像画はもちろん、子供の肖像画も描いており、生き生きとした表情は、彼自身がたくさんの子供がいたからこそ描けたものではないでしょうか。
ロイヤル・アカデミーに認定されてから、トントン拍子に正会員、会長など位を高めていきましたが、彼自身は常に新鮮さを求めていたそうです。
そのため、40代に入ってから、人物像をより多く描くようになったのだとか。肖像画によっての収入が大きく、その後、ロンドンのケンジントン地区に巨大なアトリエを所有するまでになりました。
作品の一つ一つの熱の入れ方がすごい
ジョン・エヴァレット・ミレーというと、日本ではそこまで有名ではないかもしれません。
でも、彼が作る作品は一つ一つにとても熱がこもっており、そのためなら多少の犠牲を払うことも少なくありませんでした。
なかでも、文学に強い興味を持ちハムレットを描いた「オフィーリア」は、一度は見たことがあるかもしれません。
ハムレットのヒロインであるオフィーリアを題材にしたものになり、川に仰向けになって浮かんでいるなんとも不思議な絵だと思いませんか。
このモデルになったのは後々にロセッティの妻となったエリザベスシダルです。
この絵を描くために、実際の小川で長期間かけて描いたなんて話しもあれば、自宅のバスタブでポーズをとらせて描いたなんて逸話も残されています。
あまりにも長時間になったため、冷えて風邪をひいてしまったモデルさん。
結局、父親から高額な治療費の請求を受けることになったのだとか。
作品を作るためなら、とことんこだわるのがジョン・エヴァレット・ミレーのすごいところです。
ジョン・エヴァレット・ミレーの作品
ジョン・エヴァレット・ミレーは、どうしても、もうひとりのミレーと比較されてしまいがちです。
なかには見分けがついていないなんて人もいるかもしれませんね。
そんなジョン・エヴァレット・ミレーの作品のなかで、特に有名なものを紹介したいと思います。
盲目の少女
1854年頃に描かれ、リヴァプール・アカデミーにて、年間最優秀賞を受賞した作品です。
描かれている女性は、家の近くに住んでいたそうで、盲目の少女が雨上がりの牧草で遊んでいる姿を描きました。
メインに座っている盲目の少女の表情がとても柔らかく、温かい雰囲気を醸し出しています。
障害をテーマにしてしまうと、なかなか難しい点も多いのですが、少女同士の穏やかなひとときを描いた、とても優しい作品だと思います。
奥に描かれた虹や、牧場の草木の美しさなど、こだわりぬいて描かれたのが伝わってきますね。
初めての説教
1863年に描かれた作品です。題材になったのは、ジョン・エヴァレット・ミレーの長女であるエフィーになり、5歳のときの姿を描きました。
とても大きな絵としても知られ、彼がはじめて子供を描いた作品としても有名です。
赤ずきんにインスピレーションを受けたとも言われており、評価が高かったことからすぐに「二度目の説教」も描きました。
一度目と二度目で異なる、子供が説教に耳を傾けなくなり眠ってしまっている姿など、子供らしさをとても丁寧に描いている作品です。
この作品をきっかけにロイヤル・アカデミーの終身会員の権利を得るまでになりました。
シャボン玉
1885年に描いた作品になり、なんと孫の姿を描いたことでも話題になりました。
巻髪のブロンドヘアーのかわいい子供が遊んでいる姿が描かれ、シャボン玉が上がっていく姿を見つめています。
画面の奥に描かれた植物には、生きることはとても儚いことであるのを表現していること、手前にある鉢が割れているのは、死は誰にでもやってくるもので避けられないという気持ちを込めています。とても感慨深い作品です。
まとめ
ジョン・エヴァレット・ミレーの作品は、どれも素晴らしいものばかりですが、中でもファンシー・ピクチャーと呼ばれるだけあって、子供を描くことに特に素晴らしい才能を示していたことがわかります。
どれも生き生きと描かれ、まるで目の前にいるかのような表情や繊細なタッチで描かれています。
ジョン・エヴァレット・ミレーの作品の世界に酔いしれてみてくださいね。